なぜ私は毎日走っているのか。フルマラソン・サブ4(サブフォー)への道

50歳を過ぎた普通のサラリーマンが、ある出来事をきっかけに毎日走り続けるそのモチベーションの数々。

始まりはリオ五輪。

 大学卒業後、たまに草野球の試合をする程度の運動量だった私が、なぜ毎日(本日1月15日現在892日連続)走っている(最低2km、飲酒時以外、雨が降ろうが、雪が積もろうが、父の葬儀があろうが、全国どこにいようと)のか。

 それは今から3年前の2016年8月6日(土)に遡って説明せねばならない。それまで、2014年の9月に約20年の東京勤務を終えて実家のある採用地長野に妻子を東京に置き去りにしたまま着任(いわゆる逆単身赴任)し、勢いで長野マラソンにエントリーをした頃から走り始めていた私は、3回のフルマラソンへのチャレンジでいずれも目標とする4時間切り(いわゆるサブフォー)に失敗し、悶々としていた。冬は何となく走り込み、夏は何となく山に登るという生活であった。
その日はリオ五輪の開会式翌日。抜けるような青空が広がる暑い一日であった。長野県で最も危険な山の一つに数えられる戸隠山のさらに奥にある高妻山(2,353m)に登っていた私は、下から駆け上がってくる5人のトレラン集団に出会った。

ベンチがある休憩ポイントで休んでいた私は、

「あ!(沢で)水汲んでくるの忘れた!」

と言って下りていった面々に対し、

「俺はキツいから行かない。ここで待ってるよ」

と言って一人残って私の隣に座ったマラソンランナー川内優輝選手と会話をすることになったのである。リオ五輪出場がかなわなかった彼は、その悔しさを胸に高妻山での練習に臨んでいたのであった。
「わわわ私もマラソン走ってるんですよ(日本語誤りw)。どうすれば4時間切れるんでしょうか?」
「そうですねー、とりあえず毎日走ってください。」
というわけで、愚直にもその翌日から毎日走り続けている私。その1か月後に行われた松本マラソンの会場で、偶然にもあのエリック・ワイナイナ選手に出会い、さらなる教えを伝授されるのである。
出会いは出会いを呼び、成長は成長を呼ぶ。努力は人を裏切らない。そして私は明日も走るのであった。

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川内優輝選手と私