なぜ私は毎日走っているのか。フルマラソン・サブ4(サブフォー)への道

50歳を過ぎた普通のサラリーマンが、ある出来事をきっかけに毎日走り続けるそのモチベーションの数々。

ランニングコースいろいろ〜生まれ故郷信州新町コース

LSDという薬物みたいな名前の練習方法を知り、それを初めて実践したのはマラソンの練習を始めて4か月後、2015年2月28日の土曜日だった。

とにかく誰もがアッと驚くような遠いところに行ってみたくて目的地は生まれ故郷でもある信州新町に決めた。
信州新町。今では合併で長野市の一部となったが、犀川沿いの国道19号を松本方面に長野市街から約20kmのところにあるジンギスカンが有名な小さな町である。
私はここで生まれ、4歳まで育った。
日本橋生まれの母が嫁に来る時、その山深さのあまり自分の母(私の祖母)に「あんた、キ◯◯イになったじゃあるまいな!」と言われたという(笑)。当時は道が舗装されておらず、犀川に沿って砂利道を延々とバスが走ったそうで、想像すると、確かに暗澹たる気持ちになる。
そこを、我が父が「ゆくゆくは長野市内に家を建てて移り住みますから」と約束をし、10年後に実行したわけである。実に男らしい。
その父をビックリさせたかったというのも一つの大きな目的でもあった信州新町行。ルートはその昔、住民たちが最寄りというにはあまりに遠いJR篠ノ井駅まで歩いたという山越えコースに決める。国道19号は車通りが多く、気持ち的にも辛そうだったため避けた。
朝の8時。朝食を摂ってからゆっくりスタート。ランチを挟んで夕方までに戻って来れればいいなというゆったりとした構え。そこそこの現金を持ち、いざとなったらバスで帰ってくるつもりであった。
3月目前とはいえまだかなり寒い。
指先が冷たくなるのが辛いが、スタートして国道18号を南下して、なんとか順調に篠ノ井の御幣川(おんべがわ)という交差点から信州新町方面の県道に折れる。ここまでで既に20kmである。
ここで、今から信州新町に向かいま〜す的な投稿をFacebookにアップ(笑)。いつも温かく応援してくれている友達の皆さんの反応も楽しみながら、もちろん周囲の風景も楽しみながら、峠道をえっちらおっちら登っていく。
途中、信更地区のりんごセンターでトイレ休憩。壮大な我がチャレンジの全貌を聞き、感動してくれたそこの所長さんから、りんごの出荷についての丁寧な説明とともに、トップブランドのりんごフジを2個頂く(笑)。
そしてその先、長野100景にも選ばれた有名な棚田が眼前に広がり、父にも写真を送る。たどたどしい日本語テクストでの反応が嬉しい。
信更地区の中心を過ぎるとあとは信州新町に向かってほぼ下り。一気にスピードを上げる。楽しい。
脚はかなりキツくなっているのだが、何より景色が素晴らしい。北アルプスが目の前にベッタリとその雄姿を現しているからである。
この頃はまだどの山が何という山か名前も知らずにポワーンと感動していたが、今思うと、左から蓮華岳爺ヶ岳鹿島槍ヶ岳五竜岳、である。興味のある方はぜひググってみてください。
「雉も鳴かずば撃たれまい」の故事で有名な犀川の景勝久米路峡まで下りる手前が父の生まれた今泉地区。そこを駆け抜けながらまた父のことを思う。この山々を見ながら育ったのかと。
そして信州新町の東側、上條地区にある生家跡に着く。今は隣にある厚生連新町病院の駐車場となっており味気ないが、記憶がかすかに残る懐かしの土地。ここまでちょうど30kmであった。
あたかも遡上する鮭のような帰巣本能に付き従ってがむしゃらに走った。感動した。初期の目的も達成した。満足だった。
そしてその感動は、その後3年にわたって4回もこのルートを走る原動力となったのである。
休憩後のスタートは本当に辛かったが、何とか走って帰ることに腹を決めて、帰りは国道19号を戻ることを選択した。もうあの峠を越えるだけのエネルギーも気力も残っていない。
長野県ナンバーワンの歴史と人気が売りの道の駅信州新町で蕎麦を食う。そしてまた出発。
Facebookでは迎えに行ってもいいよという温かいコメントに励まされ、泣きそうになる。
そしてスキーバス転落事故の大安寺橋を渡り、笹平の長い長いトンネルを抜け、明治橋、両郡橋を渡る頃には夕方近くになり、気温もかなり下がってくる。
脚はいよいよ前に出なくなる。長野オリンピックの時の長野市長塚田佐(たすく)氏の実家前を通過する小市(こいち)地区辺りでは、散歩を楽しむ老人よりも遅かったのであった(笑)。試しに全力疾走をしてみてもスピードは変わらない。これが俺の全力のスピードか!! ランチ後補給もせずに走り続け、初めてのロングランで身体の消耗も激しく、完全なるエネルギー切れだったのである。
今思うと、いい経験だったなと感じる。エネルギー切れは、身体が本当に動かない。全く言うことを聞いてくれない。日も暮れてすっかり真っ暗。心細さを通り越し、命の危険もうっすらと感じた。すみませ〜ん、と言ってヒッチハイクよろしく通りがかりの車に助けてもらう覚悟も本気でしていた。老人に置いていかれるというのはそういうことである(苦笑)。
結局、安茂里駅前でどうにもこうにも前に進めなくなりリタイア。ドクターストップならぬセルフストップ若しくはオートストップである。命があってよかった。
長野駅〜附属中学前駅と電車を乗り継いで無事に帰宅したものの疲労困憊。走行距離50kmのダメージは1週間後に再び走った時もなお残っているという、今では想像もできない壮絶なものであった。

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眼前に広がる北アルプスの山々