なぜ私は毎日走っているのか。フルマラソン・サブ4(サブフォー)への道

50歳を過ぎた普通のサラリーマンが、ある出来事をきっかけに毎日走り続けるそのモチベーションの数々。

ランニング班〜長野高校36回生の仲間たち。

2月と3月は、閏年でない限り曜日が同一である。2月17日が日曜日であるならば、3月17日も日曜日なのである。

危なかった。
昨日まで、エントリーしている2月17日開催の青梅マラソンが3月17日開催だと思い込んでいた私。
自分は青梅マラソンにエントリーしているんですよという意味で、参加案内の封筒の写真を知人にDMで送信した時に、
「えっ?」(゚o゚;;
と気づいた。
それまでの数か月、青梅マラソンは3月開催だとずっと思っていた。だから、東京に行く日程も、2月9日の週末と2月23日の週末と決め、移動の高速バスの予約を早々に済ませ、16日の週末には長野で開催される駒澤大学のOB会長野支部の新年会への参加申込みまでしていた。
危なかった。
青梅マラソンって今月だったんだ!」
そう言えば、おかしいなと思っていた。卒業した長野高校の同期生(以下、クラスが違っても同級生と表記(関西風)します)たちで何となく作って活動しているランニング班(長野高校では課外活動部を一部の例外(新聞、放送)を除いて「班」と呼ぶ)のメンバーたちの発言が、1か月以上前の大会についてのものでなく、明らかに、あと2週間に迫った大会の雰囲気で青梅マラソンを語るそれになっていたからである。一昨年、初めて参加した時のポカポカ陽気の記憶も、生活の拠点を長野に置いているこの身を惑わせた。
靴? 気が早いなー。
エントリーナンバー? 待ち合わせの場所? いーじゃんそんなのもっと先に打合せすれば!
とずっと感じていた私自身が、実は「いーじゃんそんなの的な扱い」を青梅マラソン様から受けていたのである(笑)。
1週間以上前に判明したのは不幸中の幸いだった。
バスの手配、飲み会のキャンセル、実家の母への対応、そして東京にいる妻への対応等々は、何とか無事に終わった。
そして、新しいランニングシューズの注文も終わり、先ほどヤマト運輸から配送態勢に入った旨のメールを受け取ったところである。
気が早いなどという表現は全く当たらないのであります(安倍総理答弁風)(笑)。
我々同期は、36回生と呼ばれている。現在の高等学校の制度になってから36回目の入学生という意味である。卒業後かれこれ35年が経つ。
そんな我々が、今のようにSNSを使った交流を活発化させたのは、卒業30周年記念の同窓会をやろうとして前年の29年目に準備の会を、という意図で行った卒業28年目の8月29日の夜からである(全員が1年分間違えていた(笑))。
飲み会で再会し、盛り上がり、そしてFacebookなどのSNSで、そのインフォーマルな結び付きを温め続け、そんな中で生まれた趣味のグループが「ランニング班」である。
(1年前倒しで実施されたプレ同窓会の様子はこちらhttp://www.tokyo-choukou.com/old/merumaga/035.html)
一つ前の回で書いた初の長野マラソンの時ももちろん、いろいろな大会で、参加不参加の連絡を取り合い、練習の様子や体調、シューズの選定、ウェアの選択などの情報を共有し、当日は励まし合い、讃え合い、充実した時間を過ごしているのである。
そんな仲間たちからチャット上で、
(1か月間違えるなんて)
「ない。」
「ない。」
「ない。」
「ない。」
「や、ある(やりとり中略)、ないよ。」
と揶揄されるこの気の置けなさは、身悶えするほどに嬉しい(笑)。
目前の大会は、青梅マラソン30kmの部。高校2年生になる時の春の選抜甲子園大会に長野高校が出場した時のスタメン、俊足強打の青木選手も出場するということで、我々は盛り上がる。彼は、その守備位置から、当時も今も「サード青木」と呼ばれている(笑)。
前回N君と書いた陸上班OBの梨本君が全体のコーチ的存在。温泉研究で今や我が国の第一人者となったMポラン。A姐。三塁側アルプススタンドの応援を仕切った元応援団長であり私の大親友であるY口君ら、今回は楽しみなメンバーがそろっている。特に今回、放送部だったN藤君とのニューシューズについてのやり取りは、本当に内容の濃い、心も温まるものであった。気が早いなーなどと中途半端な気持ちで対応していたことを心からお詫びしたい(笑)。
思えばN藤君とは、初マラソンが同じ第17回長野マラソンということで、かれこれ4年以上お互いの近況をやり取りする間柄。
「このまま行くと、具体的な結婚の話も出てくるのではないかと(週刊誌風)いう勢い」である(笑)。

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恒例となっている長野マラソン前日の記念撮影