なぜ私は毎日走っているのか。フルマラソン・サブ4(サブフォー)への道

50歳を過ぎた普通のサラリーマンが、ある出来事をきっかけに毎日走り続けるそのモチベーションの数々。

登山でトレーニング〜戸隠山

戸隠山は、標高1,904m。飯縄山黒姫山妙高山斑尾山とともに北信五岳の一つに数えられ、信州百名山である。長野市の中心部から北西へ直線で20kmあまり、飯縄山から西北西10kmのところにあり、北方約4kmには日本百名山高妻山がある。

古くから戸隠流忍者の修験道場として知られ、麓には「天の岩戸」の故事にちなむ戸隠神社が宝光社、中社、奥社とあり、観光客で賑わっている。JR東日本のCMで吉永小百合さんが旅した場所として一躍有名にもなり、幻想的な杉並木などが「パワースポット」として人気である。 
ちなみにその杉並木の奥、戸隠山登山道入口にある奥社は、型枠大工だった私の父が今から約40年前に施工したものである。
その戸隠山。連なる山々から戸隠連峰と呼ばれる。形状が屏風形であるため、切り立った崖を登り、幅50cm前後しかない尾根上を縦走することになる。特に、両側が断崖絶壁である「蟻の塔渡り」や「剣の刃渡り」など、危険な場所が多く、毎年のように墜落(滑落ではない)死亡事故が発生している。当然、上級者向けの山である。
初めて登ったのは、いつだったか記憶がはっきりしていない。たぶん、大学生だった頃に一人で登ったのが最初であろうと思われる。
高校時代、同級生のY田君が単独踏破をしたことを本人から教室で聞き、それがきっかけで登ってみたいと思うようになったことは確かであるから、高校卒業後であろうと思われる。
「戸隠はね、一人がいーんだよ、一人が。命がけで挑むことで、自分の命と本気で向き合うことができるんだよねー。」
Y田君は、遠い目をしながら私に語りかける。当時は「危ないヤツだなーコイツ」としか思わなかったが、齢を重ねた今ならその気持ちが少し分かるような気がする。とはいえ、まだまだ彼には足下にも及ばない。なぜなら、私が何度か縦走している戸隠連峰は、有名な八方睨みや戸隠山山頂があって登山者が多いポピュラーな東の尾根であり、彼が高校時代に単独行をしたのは登山道もままならない険しさを誇る西側の尾根にある、西岳だったからである。
危険度、難度ともに尋常ではない。まさに良い子は真似しないでねの世界。大人でも真似してはならない(笑)。私もまだ戸隠連峰の西岳エリアには足を踏み入れたことはない。
そんな恐ろしい山、戸隠山
家族4人で登ったことが、ある。妻と長男と二男と私。
「大丈夫ですかぁ〜? 危ないと思ったら引き返してくださいよ〜!」
奥社脇の登山口で、ボランティアの山岳指導員さんたちに声を掛けていただく。長男小4はまだしも、二男小1はあまりに心もとない。案の定、「蟻の塔渡り」のところで止まった。
妻もさることながら、二男は、高所恐怖症だったのであった。まさかこんな所で発覚するとは。私もまだ若かった。甘かった。
彼は絶叫する。
「おとーーーーーさーーーーーん!! 僕を殺す気かーーーーっ!!」
「僕はまだ、死にたくないよーーーーー!!」
「ぶうぇーーーーーん!!(泣)」
幅わずか30cmの岩の尾根。
両側は断崖絶壁100m。
絶体絶命の二男。
実は、必要以上の恐怖心がなければ、馬乗りになるようなスタイルで岩尾根を脚で挟んて少しずつ前進することで意外と簡単にクリアできるのである。よほどの悪天候でない限り心配は要らないのであるが、彼は自分自身の絶叫で自分の恐怖をひたすら増幅させるばかりである(笑)。
それでも彼はがんばった。妻に導かれて緊急避難用の岩肌に沿ったルートにたどり着くまでに、相当の時間がかかり、かなりの渋滞を生んでしまったが、何とかこの最大の難所「蟻の塔渡り」をクリアしたのである。
この難所をクリアすると、あとは戸隠連峰を尾根伝いに進み、戸隠牧場・戸隠キャンプ場があるエリアに下山するのがポピュラーなルート。家族で登山した時もこのルートであった。コースタイムは奥社登山口から5時間30分。
これだけでも通常は1日がかりのところ、マラソンの練習をするようになって体力が着いてきていた私は、途中の尾根から北に折れ、日本百名山である高妻山2,353mを目指した。
そこで、歴史的かつ衝撃的な、あの川内優輝選手との出会いが待ち構えていたのである。

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東の尾根は、こんな感じ。威圧感パねぇ。