なぜ私は毎日走っているのか。フルマラソン・サブ4(サブフォー)への道

50歳を過ぎた普通のサラリーマンが、ある出来事をきっかけに毎日走り続けるそのモチベーションの数々。

登山でトレーニング〜黒姫山

黒姫山は、標高2,053mのカルデラ火山で、その美しい姿から信濃富士と呼ばれ、黒姫というお姫様の悲話伝説がその名の由来となっている。

信州100名山の一つでありまた飯縄山戸隠山妙高山斑尾山とともに、北信五岳の一つに数えられ、長野県信濃町のリゾート地の象徴的存在。子どもの頃、黒姫高原スキー場に連れていってもらうのは、飯綱高原スキー場のワンランク上という高揚感があった。
そんな黒姫山。初めて登頂したのは平成28(2016)年の5月14日。会社の後輩2人とともに残雪がまだある新緑が美しい時期であった。そして、後にも先にも黒姫山登頂はこの1回きり。私が勝手に名付けた「北信五岳の年間グランドスラム」も、成功したのはまだこの年だけである。
黒姫山は、申し訳ないが登山道がつまらない。ただただ単調な林道を登っていく時間が長い。コースタイム4時間30分のうちの実に4時間近くを費やして山頂付近の眺望が開けるまで、ひたすら忍耐が必要な、試練の山なのである。
ただ、山頂付近に到達してしまえば、噴火口がクッキリとしたカルデラに広がる美しい花畑と、カルデラそのものの美しさ、そして北信一帯の山々が見える素晴らしい景色に魅了されることは間違いない。
我々3人も、3人が3人とも初登頂だったこともあり、山頂付近を周遊する際は、美しい眺めに出くわす度に何度も何度も歓喜の声を上げた。
山頂で出会った老夫婦との会話の中で「どちらからいらっしゃいましたかクイズ」が織り込まれた。とてもリラックスした感じの素敵なご夫婦。関西アクセントが入っていたので興味を持った私が持ちかけたのである。
「滋賀の辺り? 若しくは岐阜ですか?」
正解は三重ということだったが、話し言葉から出身地を当てるのは本当に楽しいし、会話も弾む。これは、日本全国から登山者が訪れる長野県の登山の魅力の一つでもあるし、ふと考えると、マラソンに参加した時の高揚感やランナーたちの一体感に通じるものがあるなと密かに思えてくる。
会話が弾み、この老夫婦に「40歳くらいに見える」と言われたことも嬉しかった。これも、マラソンの練習をしているおかげかな。少なくとも腹は出ていないし、そもそも余計な脂肪が付いていない。体重が高校時代から変わっていない。と、元気の素をいただいたような気がして、意気揚々と下山することができた。
そんなことより(笑)、黒姫山を語る上で、避けては通れないストーリーがある。
それは、初めてこの山にチャレンジした平成27(2015)年5月10日のことである。4年近く経った今でも昨日のことのように思い出すことができる、苦い苦ーい経験であった。
その日は、天気も良くなく、見通しも悪いまだ残雪の残る寒い季節。飯縄山を1.5時間で登れるんだから、黒姫だって2時間もあれば登れるだろうという甘い甘い計算で、登り始めたのが午後1時。計算上でギリギリだったにもかかわらず、登山口からすぐのところにある古池の湖畔で綺麗に咲いた水芭蕉の花の写真を撮ったりして時間を消費していた。
そして悲劇は起こった。
登り始めて2時間近く。その時のイメージでは、そろそろ山頂も近いかなという辺り。沢伝いの谷を渡って尾根から尾根へ移る登山道で、残雪が多く、道が分からなくなってしまう。初登山でルートを踏んだ経験がなく、しかも沢を渡るというイレギュラーな展開。迷って当然である。
見失った登山道を探しながら雪のない尾根を無理矢理登る。細い木が薮となって密生している。低い姿勢。薮をかき分けかき分け進むこと10分から20分。このまま登山道が見つからなければ、今日は山頂は諦めて帰るしかないかと思い始め、時間を確認しようとしてズボンの左前のポケットに手を入れたその時。
ない。その中にあるべきはずのスマートフォンがなかったのである。
「待て、待て、冷静になろう。」
そう思って冷静になろうとすればするほど、焦りは増幅した。時間は15時を過ぎ(たぶん)、そろそろ日が傾き始めている。
「やばい、やばい、やばい。」
「明日は、珍しく社外でお客さんと待ち合わせて打合せをする案件があるから、スマホなしでは話にならない!」
最後に写真を撮った地点まで30分かけて戻る。ない。また登る。ない。登山道にはない。やはり薮の中。事態は芥川龍之介の小説よりも深刻であった(苦笑)。
薮は、道なき道を進んだため、どこを通過したか分からない。そもそもどこまで進んだかの目印もない。捜索エリアはテニスコート一つ分をゆうに超えている。
時間は刻々と過ぎる。それでもと思ってもう一度登山道を戻る。ない。スマホの中に入っている様々な情報を思う。気が遠くなる。辺りがだんだん暗くなる。
そもそもスマホがないから明かりを点けることもできないし当然どこかに連絡を入れることもできない。
「下山だ。」
帰宅した頃はもうすっかり日が落ちて真っ暗であり、スマホのショップに駆け込むこともできない夜の7時30分過ぎだったと思う。帰りの車中で考えを巡らし、これ以上探すことよりも、これだけ探して見つからないんだから、発見は諦め、紛失の手続きをするのが得策だと、必死に自分の考えをまとめた。費用の面で妻にどう説明しようか、そもそもいくら掛かるのか、保険は効くのか、とにかく頭が全く冷静ではなかった。
そして、実家で待っていた両親に、どうして帰宅がこんな遅い時間になったかを報告し、スマホの捜索を諦めて紛失の手続きをしなければならないことになったと説明をしたところで、父から激しい叱責を受けた。
「明日の朝、探しに行って来い!!」
思えばこれが父に叱ってもらった数少ない経験の最後だった。ありがとう父さん。
この叱責によってハッと我に帰り、正気を取り戻した私の動きは迅速かつ的確であった。上司に連絡を入れ、明日は午前中出社できないことを伝え、早く眠り、早く起きる。
まだ暗い中、軍手とビニール紐とハサミ、そして父に借りた父の携帯電話を持っての出発である。幸いにして抜けるような青空が広がっていた。
ビニール紐で、捜索済みのエリアを区切りながら進む。ビニール紐で1区画囲んだ直後、その先に、黒姫山で一夜を明かした私のスマホはあった。腰の力が抜ける。よかった。
抜けるような青空が眩しい。時間にゆとりがあり、天候など条件が整えば、落としたスマホを見つけることなどいたく簡単なことだったのである。逆に、どんな些細なことも、条件が悪いと途端に難しくなる。
これは、黒姫山の伝説、黒姫様に無謀な登山を咎められたとしか思えない。むしろ命を助けてもらったと感謝すべきであろうか。
スマホを紛失した辺りは、山頂までの中間点にも満たない地点であった。得た教訓は「山は午後から入ってはいけない」ということ。
どんなに簡単な里山でも、基本的に午後から登山を開始してはならない。つまり、「余裕を持ったタイムスケジュールでないと危険」なのである。山は舐めてはいけない。奢った気持ちが少しでもあると、容赦なくその牙を剥いてくる、それが山の怖さである。

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一風変わった会社の後輩(6歳下、25歳下)に挟まれて