なぜ私は毎日走っているのか。フルマラソン・サブ4(サブフォー)への道

50歳を過ぎた普通のサラリーマンが、ある出来事をきっかけに毎日走り続けるそのモチベーションの数々。

2回目の参加、第2回千曲川ハーフマラソン

第2回目の開催ながら、長野マラソンの前哨戦として定着していくと思われる長野マラソン1か月前に開催されるこの大会に、2年連続2回目のエントリーをした。

初のフルマラソン42.195kmを長野マラソンで経験しているだけに、レースの雰囲気にはだいぶ慣れた感じがあり、スタート時間に余裕を持って間に合うように会場に到着し、かなりのリラックスモードで臨むことができた。
スタート前に高校の同級生たちと恒例の記念撮影。気持ちも穏やかにスタートをする。
フルマラソンを経験したことで、20km過ぎまではスローダウンすることなく脚が思いどおりに動くことを確認できていた私は、ハーフマラソンだったら脚が止まってしまうことはないだろうと、自信を持って走り始めていた。
1kmを6分かけて走るペースで1時間に10km。5分だと1時間に12km進む。フルマラソンサブフォーを達成する(4時間を切る)には、ラストのペースダウンも考えると1時間に11km進むペース、つまり1kmを5分30秒ほどのペースで走り続けなければならない。
正確に言うと、フルマラソン42.195kmでサブフォーを達成するには、1km5分41秒のペースで走り切らなければならないのである。
この日も昨年同様、素晴らしい青空が広がり、コンディションは最高。私は、序盤から行けるところまで行こうと、ペースを上げた。1kmを5分2〜3秒で進む驚くべきハイペースであった。
速い!
ちなみに1kmを5分ジャストで走った場合、ハーフマラソンでは、
   1時間45分29秒
フルマラソンでは、
   3時間30分58秒
という、夢のような記録でゴールインすることになるのである。
とまあ、そんな計算ができるようになったからか、私は自信満々。会社の後輩、T竹くんを抜き去り、参加した看板制作会社のイベントで講師をしていらっしゃった時からのお付き合いch.booksの島田浩美さんに一時的に追いつくなど、走りながらのツーショット撮影を楽しみながらも、ガンガン突き進んだのだった。
そして、途中でスローダウンすることもなく、何とかペースを維持したまま無事にゴール。記録は、1時間45分41秒。スタートラインまでのロスタイム数分込みのグロスでこのタイムなので、ほぼほぼというか、完全に「夢のような記録」を達成することができたのであった。
ゴール後、また高校の同級生たちと言葉を交わす。結果はどうだったか、ランナー向けアフターサービスの温泉はどうするのか、どこをチョイスするか、等々。ゴール後でテンションが上がっているので会話が異様に弾む(笑)。
そんな中、スタート時には会えていなかった同級生Y川M則くんも合流。彼は、腰や膝など身体のいろいろなところの痛みと折り合いをつけながら決して走ることをやめない素晴らしいアスリートである。
高校時代、クラスも同じいわゆる同級生な我々は、「きのこのホクト」の社長とも同級生。ラン仲間でストイックな練習が持ち味の元ゴールキーパーM本義豊院長も同級生である。そんな他愛もない話題で盛り上がってよかった。厳つい体育教師H代元栄が担任だったということもあり、我々H代組クラスメイトの結束は固い。
そしてM則くんのタイムを聞いてビックリ!
彼は何と私の前、わずか十数人先を走っていたことになるのであった(笑)。やー、驚きました。
確かM則くんとは、最初の長野マラソンでも一緒に走っており、その時もやはり彼が私のすぐ前でゴールしていた。
2回目の長野マラソンに向け、練習を増やして自信満々で臨んだこの大会でしかも「夢のような記録」でゴールしたものの、結局のところM則くんの前を行くことはできず、スピードそのものや、走ることのパフォーマンスは以前とあまり変わってないんじゃないか(M則比で(笑))、ランニングのスピードは、練習量よりも持って生まれた遺伝子の段階で決まる要因の方が多いのではないか。
私は、そんな絶望的な事実を突きつけられた気分になった。
これまで自分のやってきたことに対して疑心暗鬼になり、私は暗澹たる気持ちで会場を後にしたのであった。

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島田浩美さん、M本院長・N本くん・サード青木くん、T竹くん、そしてY川M則くん