なぜ私は毎日走っているのか。フルマラソン・サブ4(サブフォー)への道

50歳を過ぎた普通のサラリーマンが、ある出来事をきっかけに毎日走り続けるそのモチベーションの数々。

登山でトレーニング〜四阿山と根子岳

四阿山(あずまやさん)は、日本百名山の一つである。
長野市の南東にあり、標高は2,354m。直径約3kmのカルデラが侵蝕されて現在の複数峰となっており、その一つが、西側にある根子岳である。根子岳は、2,207mと四阿山よりも低いが、火山の中心は根子岳であり、四阿山は、あくまでその外輪山である。
四阿山の南側は長野県と群馬県の県境となっており、その先に雄大浅間山が広がっている。根子岳の西には、合宿が盛んでラグビーの聖地と言われる菅平高原がある。
外輪山の切れ目から北に流れる米子川が北方に向けて流れており、大河ドラマ真田丸」のオープニングで使われた日本の滝百選の米子大瀑布がある。
その四阿山根子岳。私は平成27(2015)年の5月30日と、その翌28(2016)年6月4日に登頂した。なぜ2年連続なのか。
会社の後輩2人を連れて行った黒姫山の山行が予想以上に盛り上がり、味をしめた我々は、その勢いもそのままに、1年前に私が登頂した経験がある四阿山に狙いを定め、黒姫山に登った翌週にチャレンジしたのであった。
四阿山には思い出がある。
中学に入って初めて校歌を歌う。
その歌詞。
「仰ぐ〜四阿山、志賀の山〜」
長野市立東部中学校の生徒たちは、ほぼこの時にこの字「四阿山」は「あずまやさん」と読むということを知る。
根子岳にも思い出がある。
我々は、多くの仲間が高校1年で原チャリ(原動機付自転車)に乗り始める。原チャリさえあれば、どこまででも行けそうな妄想に支配されていた秋。なだらかで広大な根子岳の山裾が雪でうっすらと白くなったのを見て気分が高揚した私。
「蛸野井! あそこまで行ってみようぜ!」
と、同じく原チャリを小回りの効く足として活用していた蛸野井(仮名)氏を誘って、休日の午後、長野盆地、いわゆる善光寺平から、山裾である菅平高原まで原チャリを走らせたのだった。
すると、菅平高原は11月だというのに吹雪。登山どころか、麓のゴルフ場近辺を少し歩いただけで身体全体がガチガチに冷えてしまい、命からがら駆け込んだコーヒーショップで暖をとり、ホットココアを飲んだ後、家路に就いたのであった。
市街から見えるなだらかで美しい姿とは裏腹に、グロテスクなまでに広大だった裾野は、いったい山頂まで何日かかるんだろうといった畏怖を感じさせるに十分な威容であった。
そんな思い出の山々。
登るには、四阿山から根子岳を回った方が賢明である。四阿山から根子岳に向かうカルデラ内の草原が、それはそれは、まさに絵にも書けない美しさであり、それを堪能しながらの移動が楽しめるからである。しかも標高が高い四阿山から低い根子岳へ、高いところから低いところへの移動ということで、肉体的にも楽である。
登頂はどちらか片方だけにしておくというのは、お子さん連れや早く下山する必要があるなどの特別な事情がない限り、全くお勧めしない。
四阿山根子岳も、登山口は同じ場所。菅平高原牧場である。牛たちが優雅に朝日を浴びており、時に柵の外を歩いていたりするので、距離感が近いことおびただしい。
四阿山の登山道を八合目辺りまで登ってくると視界が開け、南方に雄大浅間山がその姿を現す。標高は浅間山の方が高いのだが、登っていくうちに上から見下ろすようなアングルに感じられてたまらない。絶景である。
四阿山山頂からは、西側の根子岳を挟んで善光寺平(長野盆地)がわずかに見える。逆に善光寺平からは、根子岳の先に頭だけチョコっと四阿山の山頂部分が見える。
平成28年の6月4日。会社の後輩2人と四阿山から根子岳に回った時、山頂の人だかりの中に風変わりな男を見つけた。その男の傍には、割と大きめなタンスのような木箱があった。
おそるおそる近づき、酒や薬に酔っていないか、凶器は所持していないか、眼球の動きは正常か、などなど、注意深く近寄り、話しかける。正面から見ると、木箱の中には隙間なく整然と並べられてた本がギッシリ詰まっており、表紙が見えるように立てかけてある本も何冊かあった。
業界用語で「棚差し」と「メンチン(面陳)」である。
「すみません、これは、何ですか?」
意を決して声をかけた私に、その男は笑顔で答えてくれた。
「本屋ですよ、本屋。今、営業中です。一冊いかがですか?」
驚いた。
こんな山のてっぺんに、営業中の書店があるなんて(笑)。こんな山のてっぺんまで、これだけの本を背負って登ってくるなんて(笑)。
しかも、根子岳にちなんで今日は猫の本ばかりを取り揃えた特別セールだという(笑)。
私と会社の後輩2人は、出版社勤務の編集者という職業柄ゆえか、とりあえず危険な振る舞いはなさそうなこの男に近づき、その書棚を食い入るように眺め始めた。
書店の名前は「杣(そま)books」という。
「木樵が営む書店」という意味だそうだ。店主の本職は木樵であった。
私は、かつお節や味噌汁をご飯にかけて食べる
ねこまんまのレシピ本「おとなのあったかねこまんま」を300円で買った。
その時は、まさかその2年後に産經新聞長野支局長の松本さん(ややこしいw)にこの書店を紹介して新聞の特集記事にしてもらうことになるなんて夢にも思わなかった。
その時は、まさかその2年後に自分が猫を飼い始めて猫とご飯を一緒に食べることになるなんて夢にも思わなかった。
人生、どこで何がどう転んでいくのか全く予測ができない。

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根子岳山頂からの北アルプス四阿山から根子岳に向かうカルデラ内の草原、四阿山山頂の祠、杣books、菅平高原牧場の牛たち