なぜ私は毎日走っているのか。フルマラソン・サブ4(サブフォー)への道

50歳を過ぎた普通のサラリーマンが、ある出来事をきっかけに毎日走り続けるそのモチベーションの数々。

2回目の参加、第18回長野マラソン

「今年はよほどのことがない限り、4時間は切れるだろう」と高を括って臨んだ2回目の長野マラソンは、またしても苦しく悔しい残念な結果に終わった。
練習は存分に積んできた。そこに、昨年犯してしまった数々の失敗を再び犯さないように、細心の注意を払った。これはもう心配は要らない。そう思った。思って当然だと思う。
しかし、それがまだまだまだ経験不足。たかだか2回目で、そんなにうまくいくわけはないのである。
数々の失敗とは。
① 前半で右に行ったり左に行ったりと無理な追い越しをしたために、後半脚に来てしまったこと。
② アームカバーはしていたものの、Tシャツ1枚で走って腹が冷えたせいか、2回もトイレに寄ることになってしまったこと。
③ 後半、エネルギーが切れてあれよあれよとペースが落ちてしまったこと。
④ マラソン本番の高揚感から、写メを撮りまくり、沿道の応援に必要以上に応えてしまったこと。
とまぁ、こんなところである。
結論から言うと、どれもこれも、全ては「言い訳」の部類であるのだが(笑)。
しかし、2年目のこの頃の私は、そんなこととはつゆ知らず、それぞれの敗因(根本的には違うのだが(笑))への対策を練って練って、実に真剣に本番に臨んだのであった。
① 前半は、できるだけ抑えめに抑えめに、左右への移動を伴う追い越しはしないように心がけた。
② 長袖のアンダーを1枚、Tシャツの下に着用した。
エナジージェルを、大1、小2、ポケットの中に準備した。
④ ふざけないようにした(笑)。
この最後の「ふざけない」ということは、私にとってかなり難しい(笑)。
準備万端で迎えた前日、妻の実家に出向き、明日の長野マラソン本番への抱負を語り(笑)、畑仕事中の義母に本番用のナイキのランニングシューズを見せ(幸い、珍しもの好きの義母が写メを撮るなどして一緒に高揚してくれてよかった(笑))、前日受付の会場ビッグハットで、高校の同級生たちと盛り上がる。
そしてその夜、東京から走りに来た会社の後輩K子くんを、いつもの飲み仲間で囲み、小学校の同級生ゆり子ちゃんが女将をしているいつものおでん屋さん「いろは」で乾杯。
そして単身、長野マラソン本番用オリジナルTシャツを用意してくれた「久利多食堂」へ。女将をしている妻の従姉妹トンちゃんから、恭しくそれを受け取る。そして前夜祭で盛り上がるランナーや関係者の皆さま方と乾杯。
と、舞い上がっていることこの上ない。
そして本番。平成28(2016)年4月17日。
8:30のスタート直後から怪しい空模様の中、落ち着け落ち着けと逸る自分に言い聞かせながらゆっくりと走る。
5km過ぎ。長野大通りの中央分離帯に、大好きな高校の後輩「アンパンマン」を見つけると、堪らなくなって至近距離まで近付いてパチリんこ(笑)。それから先は、沿道で声援を送ってくれていた会社の先輩K山さんを、紙芝居的ネームボードもろともハグりんこ(笑)。
続いてその先の沿道で応援してくれていた会社の直属の部下I井さんにもハグりんこ(苦笑)。彼女のお父様はその後「大事な娘になんてことを!」と仰っていたとのこと(汗)。
完全に、抑えていた高揚感の爆発である。そして案の定、調子が良かったのは17km地点のMウェーブで妻実家の親戚一同からの声援を受けるところまでであった。
左脚に違和感を感じ、その広がりが大きくなるにつれて呼吸も苦しくなる。おかしいな、こんなはずじゃないのに、と思い始める。
そしてその先、天候の悪化による強風と雨で、ただでさえキツい五輪大橋の登りに、強烈な向かい風が加わり、気持ちにも大きなダメージを受ける。
中間点から先は、雨と寒さとの戦いとなった。ペースを何とか保とうとしてギリギリのところで気持ちを奮い立たせる。手がかじかんで、この頃はまだ防水ではなかったスマホをビニール袋に入れるのにかなり難儀をする。
ふたこぶラクダを越えた30km過ぎ、土手道に出たランナーたちを待ち構えていたのは、晴れ上がった青空から降り注ぐ真夏のような太陽であった。
ツラい。苦しい。土手で立ち止まってストレッチをするランナー多数。このまま進んでも、ゴールなんて永遠に来ないんじゃないかと思われるほど、35km過ぎの土手は苦しくて遠い道のりであった。
前回、土手の下のトイレから下を見上げ、上から「がんばれーっ!」と声をかけてくれた同級生N條くんのことを思い出す。彼は、土手の下に私を見つけ「あぁ、あそこにも苦しさと戦って走っている仲間がいる! 俺もがんばらなければ!」と思ったのだという。そんな彼の言葉を頭で反芻(はんすう)しながら懸命に脚を前に運ぶ。
そして、何とか止まらずに走り続けることはできたものの、ゴールのオリンピックスタジアムまであと2kmというところで無情にも時計は4時間を過ぎる。そこからの時間は、悔しさと情けなさが加わって本当にツラいものであった。
ゴール。記憶は途切れ途切れである。とにかく苦しい42.195kmであった。
ゴール後、頭に渦巻いたのは、来年、敗因とその対策に新たな項目を一つ加えなければならないという、歯ぎしりをするかのような強い思いだった。
 
「⑤ 前の日に酒を飲まない。」
 
いやいや、今、冷静にこの時のことを考えてみると、サブフォー達成はならなかったものの、前回から11分52秒も速くなっている。しかも風、雨、寒さ、暑さという悪天候のオンパレードの中でである。この時はまだ、敗因①も②も③も④も、加えて言うと⑤も、全て「練習が足りていない」ということに収斂(しゅうれん)されてしまうという基本的事実に気づいていなかったのである。
その至らなさもまた、練習不足に起因しているのであったのだが。
 
グロスタイム4時間13分48秒
ネットタイム(参考)4時間09分48秒

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自信満々で臨んだが、マラソンはそんなに甘いものではなかった。