なぜ私は毎日走っているのか。フルマラソン・サブ4(サブフォー)への道

50歳を過ぎた普通のサラリーマンが、ある出来事をきっかけに毎日走り続けるそのモチベーションの数々。

3回目の挑戦〜第19回長野マラソン

3回目の挑戦となる長野マラソン
これまで以上の練習量を自信につなげ、これまでしてこなかった新たな試みを着々と実践しながら、感謝の気持ちを胸にスタートラインに立った。
「この場に立たせてもらって感謝の気持ちでいっぱいです。関係者の皆さん、本当にここまで支えてくださってありがとうございます!」
勝手に盛り上がり、ややもすると目頭を熱くし、気分はすっかりトップアスリートである(笑)。
これまでしてこなかった勤務先の会社のメンバーでスタート前の記念撮影。スタート地点に応援に駆けつけてくださった取引先のN社長や、会社のM先輩ともパチリ。
前日は酒も飲まず、体調も整えてある。
晴れ上がった青空。気分も上々である。
練習量が増えたのには理由がある。前回の長野マラソン後の8月、高妻山登山でトレーニング中だった川内優輝選手に出会い、「毎日走ってください」という有り難〜いアドバイスをもらってからというもの、1日も休むことなく2キロ以上を毎日走り続けることによって、ベースとなる走行量が格段に増えたのである。
連続252日ラン。
これは、これまでの自分の経験にない大きな自信となった。月平均走行距離も、それまでは100kmそこそこから多くても150kmだった
ものが、200kmに届くようになってきていた。
靴も新しくした。
それまで2回の長野マラソンは、ナイキのズームスピードだったが、練習用にと妻に買ってもらったニューバランスの靴底の感覚が気に入ったことで、気持ちが完全にニューバランスにシフト。マラソン用にとHANZO(半蔵)の、しかも最も靴底の薄い軽量タイプを思い切って購入。上級者気分で準備をしてきたのであった。
スタート。
はやる気持ちを抑え、上々の滑り出し。前を行くランナーを無理に追い越そうとせず、できるだけ流れに乗るように乗るように走る。そして身体が温まってくる。
善光寺の表参道を下り、長野日赤病院前、長野冬季五輪のアイスホッケー会場ビッグハットを最高の状態で駆け抜ける。10kmを過ぎ、最高に調子がいい。そして清掃工場の脇を抜け、犀川の土手に出たところで我慢できなくなり、「調子いい!」とツイートする(笑)。
しかし、その先、20km付近からまたもやマラソンというものの難しさが頭をもたげてくるのであった。ああ無情。完璧だったはずの走りに微かな違和感が発生する。左臀部の張りであった。
やばいやばいやばい。やはりこの上級者用の靴は俺には無理だったんじゃないか。この靴での走り込みが足りてなかったんじゃないか。いろんなことを考える。考えても、考えなくても、その考えが当たっていようが的外れであろうが、足の張りはどんどん広がっていく。
そのうちに、右脚の太ももにも違和感が走る。おかしい。
いつもは30km過ぎ、もっと言うと35km過ぎのラストの土手でやってくる脚の痛み、この痛みとそれに伴うペースダウンをなんとかなくそう、なんとか乗り越えようとがんばって練習してきたのにもかかわらず、25kmを過ぎてまだ30kmに程遠い地点からどんどんその苦しみがひどくなっていったのである。
完走できないかもしれない。
焦った。
そんなことはあってはいけない。
いや、そんなはずはない。それは心配ない。
だけど、このままどんどん痛みがひどくなって走れなくなってしまったらどうしよう。ペースを落とそうか。いやいや、すでにこのペースではヤバいだろ。
頭の中は、かなりのパニックである。
もう、必死でゴールを目指してもがき苦しむ状態が、25kmからゴールまで。そんな、全く楽しめない、ひたすら苦しいだけのレースとなってしまった。
入院中の父に申し訳ないなぁ。
そんなことが頭をよぎる。85歳の父が入院したのは4月の3日。微熱がなかなか下がらず、近所のかかりつけ医の投薬ではどうにもならず、長野市民病院を受診し、入院となっていた。
食事も上手く取れなくなり、点滴で生活するようになった父の様子を、毎日ランニングで見に行っていた。熱は下がらない。原因も分からない。日に日に体力が落ちていくのがわかるようになっていった。
それでも、父は私が毎日走っていることを知っており、言葉少ないながらも私のことを応援してくれているのだった。
「がんばれ、父さん。」
私は毎日、父の回復を祈りながら、願がけをするような気持ちで長野マラソンに向けての調整を行っていた。
「マラソン、いよいよ来週だな。がんばれよ。」
本番の平成29(2017)年4月16日を明日に控えた土曜日の朝、朦朧とした意識の中から搾り出された父からのエールを、私はしっかりと受け取る。「もう明日だよ!」という突っ込みはグッと飲み込んだ。
 
もはや炎天下だった。
脚の痛みは、明らかに脱水症状から来る痙攣であった。気温の上昇に合わせた水分の補給が足りていなかったという、明らかなミステイクである。これも経験か。悔しい。
ゴール後、オリンピックスタジアムのスタンドを出たところで座り込んでしまった私は、両脚の痙攣で全く身体を動かすことができなくなり、友人たちとの記念撮影も、私を中心に皆んなが集まってくれるという、実に情けない状態であった。
そして、サブフォー達成の報告を父にすることは、この先永遠にできなくなった。
 
グロスタイム4時間17分33秒
ネットタイム(参考)4時間12分52秒

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ゴール後、両脚痙攣で全く動けなくなってしまった私