登山でトレーニング〜苗場山
「えーっと、割と楽に登れて、山頂までの景色が最高で、彼女を連れて行っても大丈夫なくらい、初心者向きのところでしたよ〜っ!」
苗場山は2,145m。長野県と新潟県の県境にあり、上信越高原国立公園に属する。山頂南西側が平坦な湿地帯となっていて、小さな池塘(ちとう)が無数に点在するその美しい景色から「天空の楽園」とも呼ばれている。
平成30(2018)年7月22日、私は会社の後輩M井君から1年前に聞いた「彼女を連れて行っても大丈夫」というザックリとしたイメージをベースに、具体的には数週間前に登頂をしたばかりの高校同級生M院長からDMで教えてもらった情報を頼りに登山口へと向かった。
津南町をしばらく走り、右折して目指すのは秘境・秋山郷。秋山郷は、長野県であるにも関わらず、新潟県にいったん出てからまた長野県に入るルートが一般的である。どうしても長野県から出たくない人は、志賀高原の奥、奥志賀高原の奥を通り越してさらに山道を進んでいかなければならず、しかも冬期間は通行止めという、とんでもないことになってしまう。
その秋山郷から登る。
登山口は、M院長の情報によると「赤沢」という地区にあるというので、それらしい看板のところを左折して山道を車で登っていく。
M院長は「道が狭くて登山口まで到達するのが大変だった。正直怖かった。」とも言っていたので、道が予想以上に狭いのは仕方のないことなのだと思っていた。だがしかし、それは、大きな間違いであった。残念ながら、それに気づくのは、山頂への到達を待たなければならない(笑)。
細い細い、畑の中の道を進めるだけ進み、これ以上車では登れないというところまで来て、辛うじて車1台停められるスペースに車を停めて、そこから登山開始。少し朽ちてはいたが、「苗場山→」という看板があったので、道は間違ってはいない。私は、細くて草が多めな登山道をひたすら登っていく。
おかしいなと思わなければいけなかった。日本百名山に数えられる登山道がこんなに細いはずがない。こんなに寂しいはずがない。誰一人としてほかの登山者に出会わないじゃないか。明らかにおかしい。いや、おかしいなとは思っていた。思っていたのだが、もはや引き返せないところまで来てしまったのであった。2時間以上、ただひたすらに景色も変化も楽しめない雑木林の寂しい登山道を登り続けている。おかしいけど、おかしいけど、これはもう、行けるところまで行くしかない。
視界が開けた。
そこは、頂上であった(笑)。
そして、山頂標識も目の前にあった。
「苗場山2,145m」
なんてことだ(笑)。
いやー、こんな経験は全く初めてであった。
全く楽ではなく、山頂までの景色は何も楽しめず、彼女を連れて行ったら機嫌が悪くなるどころか殺されてもおかしくないほどの修羅場が必至な状況である。いろんな意味で初心者は命がいくつあっても足りない(笑)。
「M井くん、とんでもないガセネタ掴ませてくれたなーおい!」
と思った。が、その数分後、わずか10メートルほど先に進んだところで、目の前に広がる夢の世界のような、悪魔的なまでに美しい風景を見た私は、間違えたのは自分の方だったと気づいたのだった。
美しい風景を存分に味わいながらのランチタイムの後、「小赤沢登山口→」と書かれた看板に従って下山する。美しい池塘が無数に点在する平原を、緩やかに下っていく。彼女を連れてきたら上機嫌になってくれること請け合いである(笑)。
平原が終わり、岩がゴツゴツしたある意味普通の登山道を下る。日本百名山にふさわしい道幅の登山道だった。何人も何人もの人とすれ違った。私は、登るべき登山道を間違えていた。確信したが、まいっか、と、開き直った。
秋山郷まで下山し、そこから車を停めたところまで移動する。車道はもちろん、景色を楽しみながらのランニングである。真夏とはいえ風が気持ちいい。
途中で、「福原総本家旧宅」という秋山郷の保存民家を解放して展示しているところに立ち寄ってみた。
中には誰も居なかった。
と思ったら明らかに昼寝から目覚めたばかりという老婆が奥から出てきて(笑)話し相手になってくれた。
老婆絹代さん(仮名)は、ここの管理人をしているという。絹代さんの説明で、秋山郷の暮らし、特に冬の厳しさがよくわかってよかった。
絹代さんは、18歳の時に鬼無里村から嫁に来たのだという。秘境から秘境への嫁入りである。嫁入り箪笥はどうやって運んだんだろうか、まさかクロネコヤマトではないよなー、などと考えながら聞いていたせいで、彼女の子どもたちが何人で、どこに住んでいて、孫が何人いて、年に何回くらい秋山郷に帰ってくるのかという絹代さんにとって大事な部分の内容は、全く記憶にない(笑)。
もう一つ。絹代さんとの会話の中で判明したこと。私が下りてきた登山道は、「小赤沢コース」であり、私は間違えて「大赤沢」から登る「新道」と呼ばれるルートを登ったということ。そしてそのルートは、新たに造られたのにもかかわらず、人気が全くないということ。
絹代さんは、昭和一桁生まれ特有の派手な手振りと大きな声で教えてくれた。
「あはははーっ! 苗場山登ってきましたっていう人はここに何人も来るけど、「新道」登ったって人に会ったことはないよ(笑)! あんたが初めてだ!(笑)」
私は、初めての男になってしまったのであった。