なぜ私は毎日走っているのか。フルマラソン・サブ4(サブフォー)への道

50歳を過ぎた普通のサラリーマンが、ある出来事をきっかけに毎日走り続けるそのモチベーションの数々。

初めての参加〜第38回朝陽地区健康マラソン大会

私の実家がある長野市朝陽地区は、その昔、朝陽村といってそのほとんどが松代藩の領地だったところである。
長野市立朝陽小学校の通学区と同域で、1区南屋島から8区桜新町までの8つの地区から成る。私の実家がある6区南堀と7区北堀の境界上を長野電鉄長野線が走っており、朝陽駅と附属中学前駅が、南堀にある。
南堀には、東証一部上場企業、きのこの「ホクト」がある。数年前、要潤鈴木砂羽が出演する妖艶なコマーシャルで一世を風靡した信州を代表する企業だ。
そしてなんといっても朝陽地区で有名なのは、プロ野球北海道日本ハムファイターズ金子千尋(弌大)投手が朝陽小学校の卒業生であるということ。出身の新潟県三条市から、小学校4年生の時に父親の仕事の関係で5区の石渡(いしわた)に越してきて、そこで少年野球をし、進学した長野商業高校を甲子園に導いた。
彼は、母校朝陽小学校のために、プロで1勝するごとにグランドに少しずつ芝生を寄贈しており、今は北側4分の1ほどが緑の芝生で覆われている。
実は小学校時代に少年野球をしていた私。野球の世界でも立派な金子投手の先輩なのである(笑)。
その芝生で、キャッチボールをしたのは、私が長野に逆単身赴任してきた平成26(2014)年の9月2日の朝であった。地元銀行の支店長をしていた小学校・高校の同級生T野くんが帰長してきた私を歓迎する意味で付き合ってくれたのだった。彼も小学校時代に少年野球をしており、私とはチームメイト。実に40年ぶりのキャッチボールであり、感慨深いものがあった。チームメイトというのはどんなスポーツでもありがたい存在である。
秋が深まる文化の日。第38回朝陽地区健康マラソン大会が行われた平成28(2016)年11月3日は、澄んだ空気がキリリと冷える爽やかな朝だった。高校同級生のラン仲間の間でヘッドコーチ的な存在N本氏がやはり同じ朝陽小学校出身ということで、毎年参加している。彼は優勝候補の一人だ。
アップの仕方、コースの特徴、などの教えを請う。男女とも、AコースとBコースに別れており、長い方のAコースが6kmである。
参加人数は、全員で200名ほどか。
スタートすると、N本氏を含む数人のトップ集団が猛スピードで朝陽小学校のグランドから一般道へ出て、颯爽と駆け抜けていく。そして少年野球のチーム全員かと思われる大集団が続く。何とかそれについて行く。ついて行こうとするが、その速いこと速いこと。1キロ4分少々といった感じで記憶している。
ジリジリと後退。同じように後退する選手たちと、縦長になりながら必死で走る。ペースも何もあったものではない。ただただがむしゃらに走った。
そのうち、前方を走る少年野球の選手たちの集団が捉えられる位置まで迫ってきた。一人、また一人と抜いていく。こちらのペースが落ち着き始めても、彼らの位置が私の前から後ろに移っていく流れは変わらない。
あと2キロ、あと1キロ、と、ゴールが迫ってくる。野球少年はあと何人残っているんだろう。息が苦しく、必死に空気を肺に入れながらがんばる。
校舎が見えてくる。
グランドに入る。
そしてゴール。
 
結果は10位。
 
満足のいく素晴らしい結果だった。これまで2回のフルマラソンを走り抜いたスタミナと経験はやはり大きかった。自分の走りに初めて自信が持てた日だった。
10位までが入賞とのことで、表彰式に出た。賞状をもらった。人生初の、ランニングでもらった賞状である。素直に嬉しかった。
数か月後に発行された朝陽地区公民館の広報紙にも名前が出た。もう後には引けない(笑)。
 
表彰式で分かったことだが、私の前にゴールした9人のうち、少年野球の選手はわずかに2人。
40歳以上も歳の離れたおじさんランナーは、ほとんどの少年野球選手を抜き去ったことになる。
野球の先輩としての面目も、何とか保つことができたのだった。

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野球の後輩金子千尋(弌大)投手が寄贈した芝生でキャッチボールをした私とT野くん