なぜ私は毎日走っているのか。フルマラソン・サブ4(サブフォー)への道

50歳を過ぎた普通のサラリーマンが、ある出来事をきっかけに毎日走り続けるそのモチベーションの数々。

ランニングコースいろいろ〜飯綱高原スキー場コース

3回目の挑戦となる長野マラソンの1か月前、平成30(2018)年3月20日、春スキー真っ盛りの飯綱高原スキー場のゲレンデに、ランニング中のTシャツマンが登場した(笑)。
 
脚力を鍛えるには、いわゆる峠走が効果的であると言われている。たっぷり上って、たっぷり下る。古くから長野市民のファミリー向けレジャーポイントとして君臨してきた飯綱高原スキー場を往復する、脚と心肺への負荷満点のこのコース。
小学生の頃、両親にスキーに連れてきてもらった「遠い遠い山の奥(笑)」に、自分の脚で到達するという、夢のような、何とも言えない感慨に耽ることができ、やりきった感満載で気持ちが満たされることも、大きな要素なのである。
飯綱高原スキー場は、平成10(1998)年の長野オリンピックで、モーグルエアリアルの会場となったところである。第1リフトから第5リフトまでと小ぢんまりとしたゲレンデながら、緩やかで長いコースからコブコブのゲレンデまでバラエティに富んでいる。
第5リフトから東側を降りるコースは、モーグル競技が行われた急斜面。女子モーグルで金メダルを獲得した里谷多英の名前を冠して里谷多英コースと呼ばれている(ひねりなし)。
長野市内とこの飯綱高原スキー場は、かつて戸隠バードラインという有料道路1本で結ばれており、それは長野市民を飯綱高原に運ぶピストン役を担った大動脈であった。しかし、昭和60(1985)年7月26日に発生した地附山地すべり災害によって寸断され、上松から大峰山までの区間が不通となり、現在に至っている。
この日、大学生だった私は長野市内にある東和田運動公園テニスコートでテニスを楽しんでいた。地附山からもうもうと上がる大量の土煙りと、その周囲を飛び回るヘリコプターといった、その時見た普通ではない感じを今も忘れることができない。
私は高校時代、硬式庭球班に所属し、数々の大会で、他校のライバルたちと鎬(しのぎ)を削っていた。その中で、長野東高校の一学年上のK口先輩のストイックな自己鍛錬が有名であり、印象に残っている。
彼が残した数々の伝説的なエピソードの一つ。練習が終わった後、「ちょっとランニングに行ってくる。」言って走り去り、翌日にどこまで行ってきたか後輩に聞かれ、「大座法師池までだよ。」と、涼しい顔で答えたという。
 
「化け物だ。」
 
素直にそう思った(笑)。
大座法師池といえば、飯綱高原のメインスポットである。とんでもない離れ業、まさに化け物である。
そのモノノケの視点を曲がりなりにも掴むことができた、そんな満足感もこのコースを走るモチベーションになっている。
戸隠バードラインが分断された後、長野市内から飯綱高原に行くには主に善光寺裏から登る「七曲りコース」と長野高校裏の浅川を遡上する「浅川ループライン」のどちらかを選択する。後者は長野オリンピックに伴ってループ橋が整備されて車の流れが多くなっている。途中に、ボブスレーリュージュ会場となったスパイラルがある。
七曲りコースは、スノーシェッドに覆われた8つのヘアピンカーブ(数えました(笑))が狭くて危険。ランニングにはお勧めできない。代わりに浅川畑山地区を経由して七曲りを登り切った大峰山に出るルートがお勧めである。
私が大好きな飯縄神社の里宮の前を通って戸隠バードラインと並走する旧道を走ると、ダイダラボッチ伝説がある飯綱高原のメインスポット大座法師池に着く。ここまで約14km。距離もなかなかである。
ここから飯綱高原スキー場までは約1km。第1ゲレンデから第3ゲレンデまで車道を横移動し、「浅川ループライン」を使って帰るのがお勧め。ぐるぐるぐるぐる、高速で下り走の筋力をガッチリ鍛えるのである。
スパイラルから浅川ループ橋の間にある集落、中曽根地区に「とがの木茶屋」という、手作りのおやきを売る小さな店がある。そこのおばあちゃんには、いつも褒められ、励まされてラストの下りのエネルギーにしている。おやきも美味いが草餅などの餡子も、疲れた身体に染み渡って実に美味い。
喋り闊達で元気あふれるこのおばあちゃん、実はモーニング娘。の現役メンバー羽賀朱音のおばあちゃんなのである。福田明日香安倍なつみのツートップ時代からモーニング娘。が大好きなTシャツマン、いつもここでモーニング娘。講義を熱心に聞き入ってしまうのであった(笑)。

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ゲレンデに現れたTシャツマン、浅川畑山地区とおやき屋さん「とがの木茶屋」