なぜ私は毎日走っているのか。フルマラソン・サブ4(サブフォー)への道

50歳を過ぎた普通のサラリーマンが、ある出来事をきっかけに毎日走り続けるそのモチベーションの数々。

登山でトレーニング〜常念岳と蝶ヶ岳

常念岳は標高2,857m。北アルプス飛騨山脈の南北に複数ある山脈のうち、長野県側にある常念山脈の主峰であり、日本百名山の一つ。山の全てが長野県内にある。蝶ヶ岳標高2,677m。常念岳の南、常念山脈の稜線上にあり、こちらも山全体が長野県に属する。

中学校時代の集団登山を除いて北アルプス初挑戦だった唐松岳を、思いのほか順調かつ快適に踏破してから、私は北アルプスに対してかなり前のめりになっていた。あの稜線の美しさ、別世界を旅しているかのような隔世感。いずれも頭に刻まれたまま離れることがない。
 
「あの稜線をいつまでも歩いていたい!」
 
という症候群に冒され(笑)、ついにその病に導かれるままわずか10日後の平成28(2016)年8月21日、再び北アルプスに足を踏み入れることになったのである。
その病状に拍車をかけたのが、私を北アルプスに導いた満月酒り場で出会ったH田師匠。SNSにアップされた美しい稜線の写真と「常念岳蝶ヶ岳12時間の山行」というテキストに完全に打ちのめされ、「あの稜線をいつまでも歩く」ことを決めたのであった。
そしてその稜線は、実際に歩いてみると、思い描いていたこととは別の理由で「いつまでも歩いていたい」と思わざるを得なくなるのであったが、この時はまだそんな展開になるとは夢にも思わなかった(笑)。
三股登山口から登り、常念岳から蝶ヶ岳、そして三股登山口に下りて三角形を描く。コースタイムはしめて14時間30分である。そこを経験豊富なH田師匠が12時間。何とかがんばれば師匠と同じタイムで踏破できるだろうという計画で、朝まだ暗いうちから登り始める。
長野市内の実家から自家用車で2時間ほどかけて着いたJR穂高駅では、始発で着いたばかりなのか終電で着いて仮眠をしていたのか判別し難い登山客数名がタクシーに乗り込むところだった。
常念岳は、三股登山口から登るのが一番早いが、このルートは急登に次ぐ急登で、「初心者はご遠慮ください」という看板が出ているほどである。しかし、飽きないことが救いだ。
標高約2,400 mから上、森林限界を越える高山帯が、ライチョウの生息地として有名で、ライチョウ生息の研究がなされているポイントでもある。ガラガラと積み重なった岩々とハイマツが一面に広がる斜面に、霧がスーっと通過していく。ライチョウに出会えればラッキーである。
晴天の日は、天敵から身を守るためにハイマツから出てこないと言われているライチョウ。この日は幸いにも雲が多く、常に霧が流れている天候。
 
いた。
 
2羽だ。つがいだ。
 
いや、3羽だ。親子だ。
 
ライチョウは、野山の野鳥と違って人を恐れることがないのでかなり近づいてもシラーっとしている(笑)。特別天然記念物なので捕まえられないという人間のルールを知ってか知らずか(笑)、余裕綽々でヨチヨチと歩き回るので愛嬌があって実にかわいい。
ラッキー、ラッキー、ラッキッキ!
気分上々でガラガラとした岩山をよじ登っていくと、前常念岳と呼ばれる2,661mのピークに到達する。視界ゼロ(笑)。それもそのはず、この日は、二つの台風10号と11号が、太平洋上を不規則に動いており、日本にいつ上陸してもおかしくないという状況であった。
そんな霧の中、前常念岳の辺りから山ガール2人(以降「山ガールズ」と呼ぶw)と話をしながら進むようになった。常念岳山頂まではあと1時間を切っているはずなので、山ガールズに追いついた私は無理に追い越して行くことはせず、ポツリポツリ会話をしながら歩いていった。
そこに、私よりもやや若い男性2人組も加わって、霧で真っ白な稜線上での会話は弾んだ。
「今日は(常念岳の)山頂からどういうルートで?」 
「蝶で!」
「蝶で!」
「私も蝶ヶ岳で!」
何と5人とも、蝶ヶ岳を回るルートを目指していることが判明。皆、かなりの健脚である。
「そうですよね、台風が二つも来てる日にこんなところ(常念岳)に来てるわけだから、フツーの人じゃないですよね(笑)」
そう。フツーではなかった。
男性2人は、登山道の整備をしながら登っているとのことで、どこかの団体に属しているのか全くのボランティアなのか、はたまたそれが職業なのかわからない。
「しばらくここで作業しますからー。」
と、登山道脇のガラガラとした岩々を降りていってしまった。
晴天であれば、正面に槍ヶ岳がドーンと見えるはずの常念岳山頂を過ぎ、蝶ヶ岳への稜線を進んでいく頃には雲も切れ始め、時折右前方に大迫力の穂高連峰と涸沢カールが見え隠れしている。
「うわーっ!」
「うわーっ!」
もう、うわーっ!という言葉しか出てこない(笑)。
そんな山ガールズたちもまた、フツーの人たちではなかった。彼女たちは、岐阜から高速道路を交替しながら夜通し運転し、登山口で少し休憩してから登り始めたと言い、スゴい体力だと思ったら2人ともフルマラソンを走る人であった。
山で、速いペースで進む人は、かなりの確率でフルマラソンのフィニッシャーである。
走り過ぎてケガをしてしまったこと、そこから徐々に回復して練習量を増やしてきたこと、名古屋ウィメンズマラソンの素晴らしいこと、大阪国際女子マラソンに出れたら最高だということ、などなど、話は尽きることがない。
特に「バンちゃん」と呼ばれていた山ガールとは、一本道の稜線をかなり長い時間2人で歩いてお話をさせていただいたのであった。
そして蝶ヶ岳に到着。美しい蝶ヶ岳の斜面に広がる蝶のような模様が目に焼きつく。追いついたり、離れたり、また現れたライチョウの写真を一緒に撮影したりと、山ガールズたちと私は、北アルプスの稜線を存分に楽しんでいた。
ここで下山を急がなければならない事情が発生した私は、蝶ヶ岳ヒュッテで休憩している山ガールズに別れを告げる。
「バンちゃーん! この人、カエラハルってーっ!」
離れたところで水を汲んでいたバンちゃん、さようなら。また会えたら会いましょう。
時間がない。
私は「えー? なになにー?」というバンちゃんの声を背に、振り向きもせず下山を始めたのであった。
この時は、 SNSの投稿を辿れば(ハッシュタグなどを頼りに探せば)彼女たちとコンタクトを取ることはそう難しくはないだろうと軽く考えていた。しかし、それは大きな間違いであった。
こんな感じで山ガールと楽しく会話をしながら美しい稜線を歩くことは、またいつでもできるだろうと軽く考えていた。しかし、それも大きな間違いであった。
それがいかに稀有なことなのか、私はこの先の2年半で思い知ることになる(笑)。連絡先を、いやせめて名前だけでも聞いておくべきだった。
人生最大の「後悔先に立たず」である。
It is no use crying over spilt milk.
覆水盆に返らず。
この失敗は、2度と繰り返してはならない。

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山ボーイと山ガールズ、蝶ヶ岳ライチョウと名物の「ゴジラみたいな木」