なぜ私は毎日走っているのか。フルマラソン・サブ4(サブフォー)への道

50歳を過ぎた普通のサラリーマンが、ある出来事をきっかけに毎日走り続けるそのモチベーションの数々。

4回目の42.195km〜第1回松本マラソン

第1回松本マラソン
私はこの記念すべき大会に、高校時代の同級生に背中を押されてエントリーしたのであった。「(松本マラソンを)走る人も、走らない人も、年に一度くらいは集まってお話ししましょうよ。」
松本在住で洋菓子教室の先生をしているM奈子ちゃんが音頭を取ってくれ、松本FMでアナウンサーをしているI保ちゃん始め松本在住の同級生や、県内在住の同級生が打ち上げをセットしてくれるというので、私は大親友Y口(以下、大親友という。)や、サードA木、M本院長とともに平成29(2017)年10月1日、美しい城下町を走ることとなった。
走る4人は皆、長野市内からの日帰りである。始発である6時9分発の特急しなの号にそれぞれ乗り込む。満員御礼なので車内の移動はままならない。そのくせちゃっかり車掌が回ってきて特急券を持っていない人(私w)に1,180円の特急券を押し売りして回るのである。こんな日くらいいいじゃないか、という気持ちが込み上げてはくるのだが、いや、こんな日だからこそしっかり回収するのか。と、納得。
長野〜松本間は、JR篠ノ井線で結ばれており、各駅停車で約1時間半、特急で約1時間の距離感である。長野市内から松本市内に通学する高校生が多い。松本長野間を通勤する県職員は、ほとんどの人が高速バスを使うと聞いている。
JRは片道で1,140円、往復で2,280円のところ、信州往復きっぷという長野松本間の往復切符だと810円お得な1,470円で買うことができる。3割5分5厘引きである。プロ野球だったら首位打者が獲れそうだ(笑)。
松本駅を降りると、駅前からシャトルバスがガンガン出ていて、スタート会場の松本市総合体育館までノンストレスで運んでいってもらえる。これは、長野マラソンと同じ運営母体が蓄積したノウハウを惜しげもなく投入しているんだろうなぁという感じがしてホッとする。
記念撮影をして、トイレに行って、さあスタート。総合体育館から松本市内の中心部までの緩やかな下りを、道を埋め尽くしたランナーたちがあっという間に速いペースとなって大移動をしていく。
そして松本市中心部。
松本城のお堀の東側を駆け抜ける。
 
松本城はチョコっとしか見えず、しかも一瞬で過ぎ去ってしまう。」
 
もう一度言う。
 
松本城はチョコっとしか見えず、しかも一瞬で過ぎ去ってしまう。」
 
しかし私は、しっかりとそのチョコっとしか見えない松本城の写真を撮ることに成功したのだった。
というか、せめてお城の周りをぐるっと周るというような、松本を楽しめるような設定にしてほしいものである。実にもったいない。
その後、小平奈緒選手が所属する相澤病院を抜けてしまうとのどかな風景の中をひたすら走るという退屈極まりないコースなだけに、本当に残念である。
退屈なコースを黙々と走り、快調なペース。半年前の長野マラソンで、暑さ故の両脚痙攣という失敗経験を生かしてこまめに水分補給もしている。暑さも、晴天で気温が上がってはいるものの、何とか20℃程度で収まっている。
30kmまでは順調だった。しかし、35kmの折り返し以降、脚が上がらなくなる。この道、折り返し前は気がつかなかったが、実は登りだったのである。思うように脚が前に出ない。苦しい。キツい。ゴールはまだか。
 
結局、Jリーグ松本山雅の本拠地アルウィンや、松本空港に沿ってカクカクとクランクするゴール前の道では、精と根を振り絞ってひたすら前に進むことだけを考えて走るという、全く楽しくない時間帯となってしまった。
そしてゴール前も失速したまま加速できずにカッチョ悪いままゴール。競技場の外で待っていてくれたM奈子ちゃんにカッコいいところは見せられずに終わった。
カッコ良かったのはレース中盤。ゲストランナーとして走っていた松本山雅の現役Jリーガー2人を相次いで抜かした、という場面。まあ、着実に力は着いているのである。
松本市内のスーパー銭湯で汗を流し、着替えてから打ち上げ会場がある松本市中心部に移動した私と大親友。まだ時間があるので会場近くのコンビニでビールを買って飲もうということになった。
そのコンビニ。ファミリーマートの店内で大親友が突然声を張り上げる。
 
「エーリック!」
 
彼の視線の先にはジャージ姿にリュックを背負ってスラリとした黒人男性。ドバイなど海外勤務が多かっ大親友が、こんなところでもビジネスの知人に会うのか、と私は思っていた。
しかし、その考えは、大親友にされた耳打ちによって霧消する。
さてここで、エリック・ワイナイナ選手について簡単に触れておこう。
エリック・ワイナイナは、ケニアのマラソン選手。コニカ(現:コニカミノルタ)の酒井監督に見出され、1993年に来日し同部へ所属。1994年の北海道マラソン初マラソン初優勝。1996年アトランタ五輪では、ケニア代表として見事に銅メダルを獲得。さらに2000年シドニー五輪では銀メダル、2004年アテネ五輪では7位入賞と、五輪2大会連続でメダル・3大会連続で入賞している。ウルトラマラソン1回を含んだマラソン優勝8回を誇り、そのうち長野マラソンで2000年と2003年の2回優勝している。」
とまあ、スンゴい選手なのである。
そのスンゴい選手が、松本のコンビニに居たのである(笑)。
大親友は、皇居ランなどで彼を見る機会が多かったため、一瞬で判別できたという。コンビニの外でエリックを待つ。遠くにチョコっとしか見えない松本城よりも、近くで大きく見える世界的ランナーの方がずっといい(笑)。大親友よありがとう。出てきたエリックは、人懐っこい笑顔で快く記念撮影に応じてくれた。
自分が教えているランナーが何人か松本マラソンを走ったので、サポートに来たのだという。話すととてもいいヤツ、ナイスガイであった。日本語も上手い。しかし書くのはローマ字である。
 
Arigato gozaimasu!!」
 
ワニかゴジラか、といった感じである(笑)。
優しいエリックは、フェイスブックが開いている私のスマホを操作し、自分のアカウントを検索して自分あての友達リクエストを私のスマホからしてくれたのであった(笑)。
 
Kore de OK!!」
 
そんな気さくで明るいマラソントップランナーに、私はまた図々しくも質問を浴びせかけたのであった。
「マラソンで4時間を切るにはどうすればいいでしょうか?」
世界のマラソンランナー、エリック・ワイナイナの答えは明快だった。
 
「走った後、2本でも3本でもいいから必ずダッシュを入れること大事ね。」
「毎日同じことをしていてはダメね。」
「腹筋も大事。腹筋もやった方がいいね。」
 
翌日から、この教えを愚直に遂行した私。その後すぐに革命的とも言える成長を遂げ、サブフォーに向けて間違いなくその階段を1段、いや2段登ったのであった。
 
グロスタイム4時間14分53秒
ネットタイム(参考)4時間10分06秒

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高校時代の同級生たち、チョコっとしか見えない松本城、そしてエリック・ワイナイナ選手