なぜ私は毎日走っているのか。フルマラソン・サブ4(サブフォー)への道

50歳を過ぎた普通のサラリーマンが、ある出来事をきっかけに毎日走り続けるそのモチベーションの数々。

登山でトレーニング〜蓼科山

蓼科山八ヶ岳連峰の北端、標高2,531mの日本百名山である形が円錐形でとても美しいことから諏訪富士と呼ばれているらしいが、私はまだその呼び方を聞いたことがない(笑)。
車で行ける七合目登山口からコースタイム1時間半で蓼科山荘。そこから30分で蓼科山頂ヒュッテのある山頂に着く。健脚なら山頂まで1時間あればイケるという気軽な山である。
気軽に登れる日本百名山ということで人気があるが、そもそもそんな気軽に登れる山にそれほどの魅力があるのだろうか、という素朴な疑問が湧いてくる。その疑問を解決するため、私は平成30(2018)年7月29日に長野市内にある実家から車で3時間ほどかけて登山口までやってきたのであった。

説明

蓼科山がある蓼科高原は、長野県の真ん中辺り、茅野市にある高原で、蓼科山の南、八ヶ岳の西にあり、八ヶ岳中信高原国定公園に属している。
蓼科山は、「蓼科」と書く。
蓼科山がある立科町は、「立科」と書く。
 
間違えないようにしたい(笑)。
 
調べてみるとどうやらほとんどの場合が「蓼科」であり、立科町だけ「立科」と書くようである。立科町公式ホームページによると、芦田村・横鳥村および三都和村が合併し、蓼科町として話が進んでいたが、
当用漢字に「蓼」の字がないことと、蓼科山は古代「立科山」と呼ばれていたことから「立科村」に異議なく決定されました。その後町制施行により「立科町」となりました。」
ということらしい。
なるほど。つまり、「立科町」を表すときだけ「立科」を使い、その他全ては山だろうが高原だろうが豚だろうがネギだろうが美人だろうが(笑)、「蓼科」を使う、と覚えればいい。
「蓼科美人」、いい感じだ。
蓼科高原には、白樺湖や女神湖があり、都心からの交通の便も悪くないのでいろいろな山荘がある。ザッと挙げると立科慶應義塾立科山荘、IHIグループ蓼科山荘、東京海上日動蓼科山荘、トヨタ車体蓼科山荘、東京都清瀬市立科山荘などである。
ここでクレバーな読者諸氏は、
「ははーん、つまり、ほとんどの山荘は、蓼科高原にある山荘ということで「蓼科山荘」という名前であって、東京都清瀬市の「立科山荘」は、きっと立科町にあるんだろーなー。」
と思っているであろうと思う。
本当にそうだろうか。本当にそうなのであろうか。申し訳ないがそこまで調べるのは面倒なので、この話はここで終わりとさせていただきたい(笑)。
さてその東京都清瀬市立科山荘。東京都清瀬市に我が家がある関係で、我が愚息たちは、二人とも小学校時代にそこに宿泊する移動教室(昔風に言うと高原学校)を経験している。そして何とその移動教室のプログラムで「蓼科山登山を経験している」のである。
日本百名山に登り始めたのはここ数年という私。日本百名山の登頂経験としては、悔しいかな我が愚息たちの後塵を拝しているのであった(笑)。
さて、話を蓼科山の魅力というところに戻そう。いろいろな解説に「山頂からは、360度のパノラマ展望が楽しめる。」とある。
 
が、
 
その山頂。
 
行ってみると、何と何と、はやぶさ2が着陸に成功した小惑星リュウグウ」と瓜二つなのである(行ったことないけど・笑)。そしてその見渡せる表面積の大きいこと。野球のグランドが一面余裕で取れそうな見事な両翼95mなのである。
しかしそこでは野球は絶対にできない。なぜならそこが全面、ガラガラとした大きめの岩が積み上がってできているからである。バウンドがイレギュラーするだけでなく、ボールが岩と岩の隙間に落ちてしまったら二度と拾えなくなるほど隙間が深いからである(笑)。
野球のグランドを優に超えるスペースでそこが山頂なので「360度の視界の全てが岩」という状態。確かに360度のパノラマ展望ではあるが、それを楽しむには、ちょっと手前の岩が視界に入りすぎるのである。
中央付近に蓼科神社奥宮が鎮座ましましており、まさに浮世離れした風景。日常を完全に超越した異空間を心ゆくまで堪能できる、それが蓼科山最大の魅力なのである。
と私は結論づけた。

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とはいえキャッチボールくらいはしてみたい山頂の異空間