なぜ私は毎日走っているのか。フルマラソン・サブ4(サブフォー)への道

50歳を過ぎた普通のサラリーマンが、ある出来事をきっかけに毎日走り続けるそのモチベーションの数々。

登山でトレーニング〜燕(つばくろ)岳

工藤夕貴(ゆうき)という女優に魅せられたのは、相米慎二監督の台風クラブ」であった。
昭和60(1985)年、第1回東京国際映画祭ヤングシネマ部門で大賞を受賞したこの映画で、彼女は若手実力女優の地位を確固たるものにしたのである。上京2年目の私は、情報誌「ぴあ」を頼りに都内の劇場に何度も足を運んだのだった。
その工藤夕貴が2017年、NHKBSプレミアムドラマ「山女(やまおんな)日記」で主演をした。観ないわけにはいかない。原作はあの湊かなえ。2夜連続で、前編が常念岳で後編が燕岳という構成だった。
そして私は、そのドラマを通じて、山に魅せられた女性に改めて魅せられてしまったのだった。
常念岳は、登った。
燕岳は、中学2年の集団登山で登ったきりだった。人生初のアルプス。人生初の山小屋泊。それ以来、現在まで40年近く訪れていない山。
その山が、「アルプスの女王」と呼ばれ、老若男女、特に女性登山客に絶大な人気を誇る山だということを知る。
 
行かなければ。
 
と思った。
燕岳は、北アルプス(飛騨山脈)にあって、山体の全てが長野県に属する日本二百名山。標高は2,763mである。常念山脈に属し、「北アルプス三大急登」の一つである合戦尾根を登り切ったところにある。大天井岳を通って槍ヶ岳に向かう「表銀座コース」の起点にもなっており、まさに北アルプスの入り口なのである。
山そのものは、花崗岩でできており、山頂一帯の独特の美しさが登山者の心を癒す。また、高山植物女王と言われるコマクサが群生しており、そのたたずまいも美しい。周辺のハイマツ帯に生息するライチョウに出会うこともある。
登山口は、中房温泉。江戸時代から脈々と続く伝統ある温泉郷で、日本百名湯の一つである。
平成29(2017)年9月9日、私は夜がまだ明けきらぬうちにここ、中房温泉に車でやってきたのだった。そして、いきなりこの燕岳の人気ぶりに打ちのめされるのであった。
まずその車の多さにビックリし、心が折れそうになる。駐車スペースを求めてさまよいながら、何とか登山口からかなり離れた所にそれを見つけ、トボトボと歩く。これが既に登山の始まりであった。
同じようにさまよっていた人に聞くと、昨年からまたさらに車が増えているとのことで、「ここまで停められないのは、ちょっと想像を超えていた」とのことであった。
そして登山口に近づくにつれてどんどん人が多くなっていき、既にある程度の列ができている。スゴい。大人気だ。
登山口から、いきなり葛折りのなかなかの急登に入るのだが、そこも行列。ペースがゆっくりなので、急登も全く苦にならない。これではいつになったら山頂に着くか分からない(そんなことはないのだが(笑))と思った私は、少しずつ少しずつ、邪魔にならないように気を遣いながら追い越しを開始するのであった。
人の列が、途切れずにダラダラダラダラ連なっているので、「はいごめんなさい」「すみません」と言って追い越しをするとまたすぐ次の人の塊に追いつき、「はいすみません」と言ってまた追い越していく。この繰り返しを延々と連続で行っていくことになってしまう。
これもトレーニングだと思ってがんばる。またがんばる。いったいどのくらいの人を抜かすことになるだろうかとちょっと数えてみたら、30分で90人を追い越していた(笑)。山頂まで約2時間半(コースタイムは約4時間半)で、450人追い越した計算になった。
これがスゴいのかどうなのかはよく分からないが、とにかく山頂まで引きも切らないこの人の列そのものが驚嘆に値することは間違いない。とにかく大人気であった。
途中の休憩所の合戦小屋も大賑わい。下からプチスキーリフトのようなケーブルで吊り上げているスイカが名物のようで、ベンチに休憩中の人々の手に手に赤いスイカがあった。一切れ800円と高額であったために、次回のお楽しみとした(笑)。
そして、450人ほど追い越したなかなかのハイペースな私を、さらに上回るペースで追い越していった人たちがいた。3名。彼らは絶対にマラソンランナーであるはずだ。そして4時間、いや、3時間を切るツワモノであるはずだ。と、そう思って納得するしかないほど鮮やかに、完膚なきまでに私はスピードにおいて敗北を喫したのであった。上には上がいる。
山頂に続く尾根に出ると、そこに人気の燕山(えんざん)荘があった。その姿、カラーリングも燕岳を模しているかのようで美しい。40年近く前になるが、こんな素敵な山小屋に泊まることができた中学生は極上の幸せ者である。当時はある程度しかその幸せを噛みしめることができなかったが、今は分かる。成長したな、自分。
燕山荘から山頂までの約30分は、美しい山並みと美しく可憐なコマクサの群生に癒されながらゆっくりと進む。
新婚時代に妻とF士通のテニスクラブの仲間に入れてもらってテニスをしていた頃に最も仲良くしていただいたS久間ご夫妻のことが頭をよぎる。ご夫妻の妻の方が、自分のことを「S久間コマクサ、下から読んでもS久間コマクサ」と紹介していたことを思い出したのだった(笑)。
有名な「いるか岩」で記念撮影をしたら山頂はすぐそこである。花崗岩のサラサラとした感じから、沖縄の海を思い出す。夏の日差しがよく似合っている。
天気がよかったため、表銀座コースもクッキリとよく見えた。その先にある槍ヶ岳の勇姿ももちろん含めてである。「こんなところに、工藤夕貴のような山に魅せられた女性と一緒に来れたらどんなに素晴らしいだろう。」とは努めて思わないようにして、「ここに出不精の我が妻を連れてくるにはどういう口車を用意すればいいのだろうか(笑)。」と、そんなことを考えながら、また人の列の邪魔にならないようならないよう、気をつけながら下山するのであった。
最後に一つ。
人の列が尋常でないことのメリット。「あ! 」と、下山中に気がついた。それは、リュックや靴といった様々な登山アイテムの人気ぶりの調査が簡単にできるということであった。母数が多いので、かなり客観的に傾向が分かる。さながら選挙の出口調査のようである。
年配の方、若い子たちの好むメーカーの違いなどを嗅ぎ分ければ、メーカーごとの支持層や最近の傾向の移ろいまで分かるような気がする。
そして私は、英国の「カリマー」が好きになってしまう。デザインがスッとしてキュっとなっており(笑)、使っている人が皆、洗練されたスタイリッシュな出で立ちに見えてきてしまうのであった。まさに、女王。
数日後、私はたまらなくなってカリマーのリュックを買ってしまうのであった。

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いるか岩、燕山(えんざん)荘、燕岳山頂、そして尋常でない登山客の列