なぜ私は毎日走っているのか。フルマラソン・サブ4(サブフォー)への道

50歳を過ぎた普通のサラリーマンが、ある出来事をきっかけに毎日走り続けるそのモチベーションの数々。

4回目の本番〜第20回長野マラソン

ラソンには、グロスタイムネットタイムという2種類の記録がある。
まずはグロスタイム。これは、「よーい、ドン!」と、スタートの号砲(ピストル)が鳴ってからフィニッシュするまでのタイム。
市民マラソンの場合は、スタートが長蛇の列となるため、後ろにいる人ほど号砲が鳴ってからスタートラインに到達するまでに大きなロスタイムが生じる。つまり、スタートが後方になればなるほど不利ということになる。
次にネットタイム。これはスタートラインを出た時からフィニッシュするまでのタイム。走るのに要した本当(正味)のタイムということになるので、スタートラインからどれだけ後方にいようと関係はない。
しかし、大会運営上の問題(最終順位がつけられないなど)等があって、グロスタイムネットタイムかどっちがどうなのということになると、公式の記録としては、あくまでもグロスタイムなのである。
ここが、ミソ。
 
平成30(2018)年4月15日、第20回の記念大会となった長野マラソンに参加した。フルマラソンへの挑戦は、これが5回目となる。
これまで4回のチャレンジで、4時間切りのいわゆるサブフォーを目指したにもかかわらず、ことごとく失敗を繰り返してきた私。理由はそれぞれの大会ごとの条件によって、それぞれ別のものであるようにも見えるが、私はこの大会への挑戦に向けて、一つの答えを出していた。
それは、圧倒的な走力の積み上げが足りていなかったということである。つまり走力不足。言うなれば練習不足である。で、今回は十分な走り込みができたから大丈夫! と思うのであるが、考えると、それは毎年そう思って走り始めるのであったのだったそういえばということになる(笑)。
「今年は違うぞ!」
と、正直思ったが、いやいやそれが慢心の元でそれが敗因の一つじゃないかと自戒の言葉を自分に投げかける。
そんなことよりも、今年はちょっと嗜好を変えて、今までできていなかったことを実現させてみた。それは、ランニングの師匠の一人である、我が二男が所属していた中学硬式野球清瀬ポニーの親父仲間の一人S水さんと一緒に走るということだった。
埼玉県在住の公務員である経験豊富なS水さんは、以前から長野マラソンに出場したいしたいと言っていたのだが、そのエントリーのハードルの高さなどもあって、なかなか実現できずにいた。しかし今回は、私が慣れた2回目のお友達エントリーを成功させ、実現に至ったのである。
S水さんはかつて、子どもたちの野球の試合や練習の時などに、私を誘ってグランドの周りをランニングしてくれていたのであった。「丹田に力を入れ、真下に落とす感じ」という、S水さんの指導でその時会得した走法は、今だに私の中で大きく基礎を形成しているものである。今思うとそれは、設楽、大迫両選手の日本新記録で今話題の厚底靴で必要と言われている「トップフット走法」の原型なんじゃないかとも思えてくる(笑)。
そのS水さんは、長野マラソンのスタートエリアまで徒歩3分(笑)の我が実家に泊まり、前日の受付からスタート、ゴール、打ち上げ(笑)まで、私と行動を共にしてくれることになった。
いつものように、前日受付で高校の同級生と記念撮影をし、健闘を誓い合う。そして得意にしている親戚の久利多食堂に、「久利多食堂オリジナルTシャツ」を取りに行く。
いつもと同じ。毎回同じ準備は順調に進んだ。S水さんとの会話で、いつもよりリラックスして臨めていたかもしれない。
そして翌日。
スタート前からぐずついた空模様で、小雨が降り続いている状態だった。私は、友人たちのアドバイスどおり、ビニールカッパを着て、かつ、靴が濡れないように、靴を履いたままビニールの買い物袋をさらに履いて号砲を待った。
スタート。
ランナーたちは、思い思いの雨具を身にまとって走り始める。100均のカッパがいちばん多いか。ビニールのゴミ袋に上手く穴を開けて被っている人も割と多かった。
気温は15℃。暑くなく寒くもない。そして小雨の湿気が、呼吸を楽にしてくれているかのように心地よい。しかもスタート地点からゴール地点までを結ぶ直線に沿った北北東の追い風がゆるやかに吹いている状況。走り始めて10kmほどでこれはもしかしてと思い始め、そして20km手前の緩くて長い登り坂五輪大橋をゆるい追い風に乗って走り切った時に、それは確信に変わった。
 
最高のコンディションじゃん!
 
気をつけるのは、水溜りで靴を濡らさないようにということただそれだけであった。前日や翌日、「雨で大変そうだねー」とか「雨で大変だったねー」とか言って、実際の現場を知らずに机上の空論を投げかけてくる人の何と多かったことか(NHK「チコちゃんに笑われる」風・笑)。ランナーにとって、実は最高のコンディションだったのである。
五輪大橋では、同じTシャツを着た人から初めて声をかけてもらい、少し会話(お互いの久利多食堂との関わりについて確認(笑))をしながら走ることができてビックリした。このオリジナルTシャツを着て走っている人は、何だかんだで20人近くいるらしい。「久利多食堂〜がんばれ〜〜っ!」と意外とたくさんの人たちから声を掛けてもらえるこのオリジナルTシャツ。そんなに出回っていたのか(笑)。
しかし、やはり20kmを過ぎるとだんだん脚が重くなってくるのはいつものとおり(苦笑)。22km付近の折り返し地点で、先を行くS水さんからすれ違いざまに「マチューさん、がんばってーっ!」と声をかけてもらっても満足な切り返しができない、ペースアップもままならない、と、そんな状態にやはり陥っていた私。
しかし、何とか粘り切り、ラスト2キロを全力疾走すれば目標のサブフォー(4時間切り)というところまで来ることができたのであった。そしてそこで思考能力をほぼなくしている私の脳は、遮二無二ラスト2キロを走り切る、ということを選択することはなかった。
 
そのまま4時間を2分ほどオーバーしてゴール。
ゴール後、S田浩美さんや店主のA木さん、H野智世さんら、仲良くさせていただいているch.books(チャンネルブックス)の皆さんが恒例にしている「フィニッシャーズタオル記念撮影」に混ぜていただき感無量(T_T)。
「目標達成は、次のチャンスまでのお楽しみだ!」
と、何だか素直に喜べた。もう1年、サブフォーを目指してがんばる時間がプレゼントされたのである。残念というよりむしろホッとした気分だったかもしれない。人間の、現状維持装置が発動したのかな、と感じた。
ラスト数キロでガクッと来るスローダウンが今回は起こらなかった。走り込みと、自然に積み重なった走力の為せる業だと思った。最終的に5,304位(5km通過時)から3,295位(ゴール時)に上げたことも嬉しかった。計算上、2,009人を追い抜いたことになる。大したものだ。
そしてネットタイムでは4時間を下回ること3分36秒。それが実際の私の正味のタイムである。条件付ではあるが、サブフォー達成だ。やった。嬉しい。グロスではないので、何だか静かに喜びを噛み締める(笑)。
そしてレース結果を聞かれて答える私の台詞も、答えるごとにブラッシュアップされてどんどん簡潔になっていくのであった。
 
「私の気分は「半分、青い。」(NHK連続テレビ小説)。」
 
グロスタイム4時間02分11秒
ネットタイム(参考)3時間56分24秒

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S水さんらと楽しむ久利多食堂チームの打ち上げ