なぜ私は毎日走っているのか。フルマラソン・サブ4(サブフォー)への道

50歳を過ぎた普通のサラリーマンが、ある出来事をきっかけに毎日走り続けるそのモチベーションの数々。

登山でトレーニング〜大峰山、地附山

長野市街地の北。善光寺の裏手にある地附山(じづきやま)は、標高733mの典型的な里山である。トレッキングコースが整備されており、市民の誰もが登れる手軽な山となっている。

昭和の高度成長期にはロープウェイがあって、到達する山頂エリアにある動物園や遊園地、観光リフトなどに親子連れが集まり、一大レジャーランドとして賑わっていたが、今はその跡形が廃墟としてわずかに残るだけである。
このエリアは、基本的に人に会うことはない。とにかくうら寂しいのである。心細くなってくるのである。そして、わずかな確率で人に会えば、そこには必ずと言っていいほど会話が生まれる(笑)。
 

地附山の登山口にある駒形嶽駒弓(こまがたけこまゆみ)神社は、昭和60(1985)年の地附山大地滑りでも「滑り落ちなかった」ことで有名である。頑丈な岩盤上に建立されているからなのだが、それ以来、「絶対にスベらない神様」として受験生に絶大な人気があるらしい(笑)。

そしてこの神社、善光寺創建(7世紀後半)よりも古い歴史をもつという。善光寺本堂の真北にあり、神仏習合善光寺奥の院なんだとか。善光寺信仰をよく知る関西の信者の間では如来さんの奥の院」と呼ばれて常識らしいので心しておきたい。

地附山は、小1時間で山頂に到達する小ぢんまりした山であるが、いくつかある登山道によっては傾斜がきつく、なかなか脚に負荷がかかるハードな行程を味わうこともできる。トレイルランの練習をしている人に幾度となく遭遇したこともある。

途中の「ビューポイント」では、東に広がる長野盆地が一望でき、その先にある志賀高原の山々を端から端まで見渡すこともできてかなり気持ちがいい。山頂からの眺めは、北に広がる飯綱高原の山々であり、この地附山が上信越高原国立公園の入り口に位置しているということがよく分かる。

山頂付近の「ヤッホーポイント」という看板の前で、飯縄山に向かって「ヤッホーっ!」と叫んでみる。コダマが返ってくる。調子に乗って何度も叫ぶ。結構気持ちがいいので何度も叫んでいると、我々世代はいつ間にやら「ファイトーっ!」「いっぱーつ!」と叫んでしまっているのである(笑)。リポビタンDのコマーシャルは偉大だった。よろしくファイト一発。というか、ファイトはそもそも一発二発と数えられるものなのであろうか(笑)。という疑問はさておき、リポDゴッコに付き合ってくれた高校の同級生K割君ありがとう(笑))。2人で持ち寄った自慢の肴でチビチビとウイスキーを煽った「山頂プチ宴会」は、なんとも言えない恍惚感だったね(笑)。
ほかにも前方後円墳があったり、長野市営のスキー場跡があったり、戦国時代に武田信玄が作ったという桝形城跡があったりと、地附山はなかなかに飽きない山ではあるのである。
長野市営スキー場は、私が在学していた頃の長野市立東部中学校の生徒手帳にその記述があった。
「生徒だけでスキー場に行くことは禁止する。(※ただし、地附山スキー場は除く。)」
えーっ! 地附山にスキー場なんてあるんだ! という驚きのみが私を含めた我々世代の持つこのスキー場との接点の全てであったと思う。なぜなら当時は既にモータリゼーションの波が一般家庭にも広がっており、戸隠バードラインの開通もあって、スキー場といえば飯綱高原スキー場か戸隠村営スキー場と相場が決まってしまっていたからである。逆に、少し前の世代が生徒だけだけでこのスキー場にどうやって来ていたのかがゲレンデ跡地を見ながら頭に渦巻くのであった。
 
そして地附山の北西すぐのところにあるのが大峰山(おおみねやま)である。大峰山は、標高828m。山頂に大峰城がある。
大峰城は、その地理的な特性から戦国時代の川中島合戦の物見砦として重要な意味を持っていた。そのため、時期によって武田方、上杉方それぞれの支配下となった歴史がある。
現在ある天守閣は、昭和37(1962)年に、私の父が大工棟梁を務めた建築共同企業体(JV)によって建てられたものであり(マジ)、かつて「チョウと自然の博物館」として活用され、山頂からの眺望を楽しむこともできたのだが、いつの間にか閉館となり、今は長野市役所の庁舎の一部(会議室等)としてしか使われておらず、寂しい限りである。
 
大峰山登山口は、善光寺の裏、いわゆる桜坂を登ったところにある雲上殿の裏にある。そこから歩いて15分ほどのところにある「謙信物見の岩」は、実に素晴らしい。そのワイドな眺望、特に夜景の素晴らしさもあって、かつては長野高校や長野西高校の生徒たちの格好の溜まり場として君臨していたのだった。
それはロッククライミングの練習場として活用されている切り立った岩場の上に、さらに円錐形の岩が突き刺さっているかのように立っており、その上の半畳ほどのスペースによじ登ることもできる。高所恐怖症の人はダメかもしれない。や、高所恐怖症の人でなくても、ここに登ると股間が「キュっ」とする(笑)。
 
この辺りのハイキングコースは、東京を始めとした長野以外から長野に着任してきた企業のビジネスマンを案内するのにも適している。善光寺から川中島合戦、昭和の高度成長期などを、空撮で捉えるかのように体感してもらうことができるからである。その効果のほどは、感激のリアクションが分かりやすかった着任間もないS經新聞のM支局長で実証済みである(笑)。
 
物見の岩から先、地附山と大峰山の中間点にある道標が最高に素晴らしいという話をしたい。
大峰山〜地附山」と白字で描かれたこの茶色のプレートは、『遥かなる日本アルプス』という雑誌(笑)のグラビアページから抜け出してきたかのような、アルプスの尾根の人だかりの中心にポツンと立っているかのような、都会的で洗練されたハイレベルでポッピーなデザインが施されており、このようなうら寂しいところにあるのがもったいないほどに一人輝きを放っているのである。訪れる機会のある方は、この道標のチェックを努努(ゆめゆめ)落とすことのないようにしてほしい。
 
今、地附山と大峰山は、時代を映す鏡として、別な意味での一大アミューズメントスポットとして、そのうら寂しさを前面に押し出しつつ、存在感をアピールしているのである。

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基本的に人に会うことがない大峰山〜地附山エリア