なぜ私は毎日走っているのか。フルマラソン・サブ4(サブフォー)への道

50歳を過ぎた普通のサラリーマンが、ある出来事をきっかけに毎日走り続けるそのモチベーションの数々。

シドニー五輪金メダリストの高橋尚子さんとのハイタッチ

「行ってらっしゃーい! がんばってきてくださーい!」
Qちゃんこと高橋尚子さん(以下Qちゃんという。)の励ましほど市民ランナーを奮い立たせるものはない。特に男性ランナーの立たされ方は想像に余りあるものがある(笑)。
スタートラインの特設ステージから、Qちゃんは続々とスタートしていくランナーたちに声をかける。
「私も後から追いかけますからね〜! しっかり走ってくださいね〜っ!」
ラソン大会のゲストとしてランナーを励ましてくれるQちゃん。そして、長野マラソンでは、部分的ではあるがランナーたちに混じって並走までしてくれるQちゃん。
Qちゃんの吸引力は絶大である。大柄でなく筋肉モリモリでもなく、お淑(しと)やかで女性としてフツーに魅力的でかつオリンピックの金メダリストであるというギャップを内包している稀有な存在であるQちゃん。走る彼女の周りには常に人だかりが出来ており、まるで砂場に放り込まれた強力な磁石が砂鉄を吸い集めているかのようである(笑)。
 
長野マラソンでは、Qちゃんはスタート後に最後尾からスタートし、自己申告タイムが控えめな後方のランナーたちを励ましながら前へ前へと走る。そして14.6km地点の落合橋でワープする(車に乗り込む)のである。
そしていちばん苦しい33km地点の赤坂橋でランナーたちをハイタッチで迎え、そこからそのままゴールまで走ってくれる。
青梅マラソンでもやはりいちばん苦しい21km過ぎの復路ほぼ唯一の登り坂で、ランナーたちをハイタッチで迎えて励ましてくれる。
ランナーにとって、Qちゃんからもらうエールは、それが時に厳しめの叱声になることもあり、ランナーたちにとって何物にも代え難いモチベーションとなるのである。
 
モチベーションというのであれば、ランナーたちにとって、ある意味沿道の応援全てがモチベーションに繋がる貴重なエールであると言える。ここで敢えて基本的なことを言うが、沿道の応援は、非常にありがたいものなのである。
「イェーイ!」
「がんばれ〜〜っ!」
沿道からの声援、そして繰り返す手と手のタッチ。そこからもらえるエールは、ランナーたちの背中を押す、第2の脚力、第3の心肺機能であると言っても過言ではない。
 
ラソンなどのレースを沿道で応援した経験のある人は分かると思うが、目の前をランナーたちが次々と走り抜けていく中、お目当ての選手を見つけるのは至難の業なのである。
しかし逆に、走る選手の側から見ると、沿道で応援してくれている人の顔は、一人ひとり手に取るようにその表情までもが実によく見えるものなのである。例えばスタートゲートの脇でゲートが倒れないように支えている製作会社の高校同級生K専務が今日はいつもよりにこやかだなんてところまでわかる(笑)。
今は「応援navi」などという、お目当てのランナーが今どこを走っているのかが一目でわかる便利なアプリがあるので、それを活用して応援するのもいいと思うが、沿道で応援する場合は、応援したいランナーに 、
「どこどこに居るからね!」
「どこどこで応援してるからね!」
と予告をしておくのが一番安全かつ確実な方法である。
 
ちょっとここで考えてみたい。そもそも応援者は、ランナーに触れてもいいのだろうか。ルール的にどうなのか。ランナーに触れてしまって問題はないのだろうか。
野球では、走塁中のランナーにベースコーチが接触をしてはいけないことになっている。それは、日本の公認野球規則の6.01(a)(8)に記載された「肉体的援助」と呼ばれるれっきとした反則行為である。
プロ野球でホームランを打った後に、バッターランナーが三塁ベースコーチとハイタッチをしてからホームインするケースがよくあるが、ルールに厳格な高校野球などではそれは許されない。少年野球でもそのような場面はない。「肉体的援助」は、厳に慎まなければならないのである。
ラソン箱根駅伝などで、フラフラになった選手にコーチが触れないよう声掛けだけを行っている場面を見かけるが、ラソンの場合は日本陸連競技規則」の「道路競走」の部にそれに関する記述があった。
 
「競技者が転倒や意識混濁、疾病等により走行困難となって歩行、立ち止まり、横臥等の行動に移った場合、審判員や大会医療スタッフは必要に応じて介護を行う。このために一時的に競技者の身体に触れることは、助力とは見なさない。」
 
同じく日本陸連の駅伝競走規準第11条にも記載があった。
①競技者は競技中、いかなる助力も受けてはならない。
②人または車両による伴走行為は、いっさい認めない。
③正常な走行ができなくなった競技者に審判員や大会医療スタッフが声掛けを行な(原文ママ)ったり、一時的に介護するために競技者の体に触れたりすることは助力とはみなさない。
 
なるほど。
どうやら一時的に触れるところまではセーフらしい。
 
「触れる」とか「肉体的援助」などというと何だか艶めかしいが、ここで思い出した「私がなぜ毎日走っているのか」、そしてもっと言うと「私が何のために長野マラソンを走っているのか」ということについて、コッソリかつサラリと書いておこう。読者の皆さんにおかれては、くれぐれもここだけの話としていただき、間違えてもシェアなどすることのないようお願いしたい(笑)。
 
それは、会社のマドンナR子さんが、毎年長野マラソンを沿道から応援してくれるからなのである(笑)。
12km地点。応援メッセージが書かれた小さなボードを持って、「がんばれ〜っ!」と、応援してくれているR子さん。可愛い。かなり遠くからでもすぐに見つかる(笑)。
そのR子さんは、手と手のタッチの後、その手をむぎゅーっと3秒くらい(あくまで体感時間です(笑))握ってくれるのである。その温かくて柔らかな手から発せられたエールで、私は毎年がんばっているのである(笑)。少なくとも30km地点までは(苦笑)。サブフォーを目指している私にいつも「サブスリーがんばれ!」と言って譲らない独特な感性を持つR子さんには、私のサブフォー達成のため、今年はぜひとも10秒ほどむぎゅーっとしてほしいものである(笑)。
 
逆単身赴任で妻に怒られない生活が5年目に入った私。気がつくと怒られることがないかわりにちょっとしたスキンシップもなくなってきているような気がする。
一方で、Qちゃんとのハイタッチは、これまで4度参加した長野マラソンで8回、2度参加した青梅マラソンで2回を数えている。もしかしたらここ数年、妻とのタッチの回数や時間よりも、Qちゃんとタッチしてる方が多いんじゃないか(笑)。そしてそのことに共感する危ない同級生の何と多いことか(笑)。
 
皆さん、家庭での「肉体的援助」は大丈夫ですか?(笑)

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手と手でタッチするレース中のスキンシップは大きな力になる