なぜ私は毎日走っているのか。フルマラソン・サブ4(サブフォー)への道

50歳を過ぎた普通のサラリーマンが、ある出来事をきっかけに毎日走り続けるそのモチベーションの数々。

無情なる結末〜第2回松本マラソン

私が勤めている会社の創立70周年記念パーティーが松本マラソン前々日の金曜日に東京品川の高輪プリンスホテルで行われたため、私はそこに出席した後、前日となる土曜日夜も東京の家に滞在していた。

当日である平成30(2018)年9月30日の朝に、東京から松本にダイレクトに着く交通手段がないため、私は深夜バスで早朝の長野駅に到着し、そのまま長野駅発松本行きの特急しなの号に乗り込む予定であった。

私は、長野市内を出発した金曜日の早朝から、松本マラソンに参加するためのリュックサックとともに移動をしていたのだった。

 

そして、中止が発表された。

 

第2回松本マラソンは、残念ながら中止となってしまった。台風が恨めしい。そして皮肉にも予報に反して当日のレース時間には雨風なく、強行しても大丈夫だったのではないかと思われる状況であったため、ベストなコンディションに仕上げたこの数か月がなんとももったいなく、この状態でこのまま走ったらどんな記録が出たのかを知るチャンスが永遠に失われたのかと思うと、途方にくれるばかりであった。しかし、選手やボランティアの方々を含めた関係者全員の安全を考慮すれば、中止決定は妥当な判断だったのだろうと思われた。マラソンも、家に着くまでがマラソンである。

中止の発表は、前日土曜日の夜7時ごろ。移動中の台風24号も南海上の離れたところを通過しており、まだその影響が出ておらず、開催がギリギリ間に合うかどうかといったところであった。

 

エントリー時に支払い済みの参加費は戻っては来ないが、参加賞のTシャツはゼッケンと一緒に送られてきており、また、フィニッシャータオルも後日送ってもらえるとのことだったので、運営側の誠意も感じられ、世の中どうにもならないこともある、と、納得することができた。

 

ところで、長野県は広い。そして山また山の地形であり、海がなく、それぞれの盆地や谷に存在するバラバラな文化が寄せ集まってできている。時に、長野合衆国とも呼ばれる。

「田舎どこ?」と聞かれて「長野」と答えるのは、極めてビミョーなやり取りであり、注意が必要である。「長野」とは、元を辿れば長野市の市街地の北部にある大字のことであり、今の善光寺の西から北にかけての地域を指す。長野市民にとって「長野」とは、「松本」「上田」「伊那」「飯田」「佐久」「諏訪」などに対抗する地域の一つであり、その中の最高峰であるという自負がある。

だから、松本や飯田の人が「長野」と言っているのを長野市民が聞くと、たぶん、「長野じゃないでしょ、長野県でしょ?」と言いたくなるのではないだろうか。たぶん。まぁ、松本の人は松本の人で、県内で最先端の街としての自負があるだろうから、出身地を聞かれて「長野」とは言わないはずなのである。彼らは、

「田舎どこ?」

と聞かれた場合、多くは、

「松本です。」

と答えるはずなのである。たぶん(笑)。

 

そんなような理由で、長野県で団結して何かをやろうという時に「オール長野でがんばろう!」と言うと、なかなかに差し障りというか引っかかりがあるため、そのような場合には「オール信州でがんばろう!」ということになるそうなのである(笑)。「信州大学」も然り。「信州」というのは便利な言葉である。

信濃の国、の信州。長野・飯山地方を北信、上田・佐久地方を東信、安曇野・松本・木曽地方を中信、諏訪・伊那・飯田地方を南信という。

年末にシャケを食べるのが北信・東信。ブリを食べるのは中南信。食文化が違う。イナゴは県内全域で食べられているようだが、ザザ虫は南信でしか食べられていない。

 

TV番組などでよく紹介される「長野県民はほぼ全員が県歌信濃の国が歌える」というのは、本当である。

かつて廃藩置県の直後は長野地方に長野県、松本地方に筑摩県という、二つの県が並立していた時代があった。そして、制度改正によってそれが一つの県になる時に県庁所在地が長野になり、それが筑摩県側の反発を生んで対立が激化し、県会議事堂が放火される事件が起こるなど、再び長野県を分割しようという動きが現れた。乱闘にもなりかねない異様に殺気立った状況の議場内に、どこからともなく信濃の国の歌声が響き、やがてそれが傍聴席を含めた大合唱となって危機を脱したのである。そこから信濃の国は県歌として広く県民に歌い継がれてきた、と、こういうわけである。

 

そんな、第2回松本マラソンの経験を胸に、第3回大会へのエントリーを済ませた長野市出身の私。だいぶ松本の街にも慣れてきた。

そして、改めて大会公式ホームページを見て、

「完走賞 : フィニッシャータオル、完走メダル」

という記述の下に、

「※第2回大会にエントリーしていて、第3回大会を完走された方には、第2回大会の完走メダルも贈呈」

との文言を発見。がぜんやる気に燃えてきたのである(笑)。

 

メダル2つ!

 

長野オリンピックでの原田雅彦選手や船木和喜選手のように胸に2つのメダルを下げ、そしてカチャカチャと音を立てながら松本の街を闊歩する自分の姿を想像しながら、私は明日もまた走るのであった。

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