なぜ私は毎日走っているのか。フルマラソン・サブ4(サブフォー)への道

50歳を過ぎた普通のサラリーマンが、ある出来事をきっかけに毎日走り続けるそのモチベーションの数々。

登山でトレーニング〜爺ヶ岳、鹿島槍ヶ岳

「山行」という言葉がある。
国語辞典では、
① 山中を旅して歩くこと。
② 山に遊びに行くこと。山歩きをすること。山遊び。
とある。が、山専門のコミュニティサイト「ヤマレコ」の用語集では、そのほかに、
ヤマレコメニューなどでの「山行記録」は『さんこうきろく』と読み、やまゆき、やまいき、やまぎょう・・・などとは読まない。」
とあり、さらに、
「この単語の読みで、登山経験や内容などの目安がついたりすることがある。」
とある。
くれぐれも「山行」を「やまゆき」とか「やまぎょう」と読まないようにしなければ、お里が知れてしまう(笑)。
 
平成30(2018)年8月19日。私は、かねてから計画していた北アルプス日本百名山の一つ、鹿島槍ヶ岳(以下、鹿島槍という。)への登頂を実行に移した。
鹿島槍は、標高2,889m。日本百名山で、長野県と富山県の県境にあり、南峰と北峰の二つのピークを持つ双耳峰で、麓(ふもと)から見上げると「サリーちゃんのパパ」みたいな感じである。富山県側に並行している立山連峰に対して後立山(うしろたてやま)連峰と呼ばれる山脈の中にあり、「後立山連峰の盟主」と言われているのが鹿島槍なのである。また、剱岳立山と並んで日本では数少ない「氷河」が現存する山でもある。
 
そんな鹿島槍に通じるルート上にあるのが爺ヶ岳。標高は2,670m。南峰、中峰、北峰の3峰からなり、麓から見上げると「マッハGoGoGo」で主人公が乗る「マッハ号」のようである(笑)。
爺ヶ岳は、「じい」の「い」のところにアクセントがあるのが通常であるが、多くの長野県民は「じい」の「じ」のところを強く高くする頭高型アクセント(東京の「高円寺」と同じ)で発音するので注意が必要である(笑)。
 
鹿島槍への最短ルートは、黒部ダムへの入口である扇沢(おおぎさわ)から柏原新道を使って種池山荘に行き、そこから尾根伝いに爺ヶ岳経由で冷池山荘を通過して到達するコース。どちらの山荘に宿泊するかはお好み次第だが、いずれにしてもコースタイムが16時間を超えるため、通常は1泊しなければならない。
 
が、しかし、
 
ラソンの大先輩でもある高校同級生のM院長が日帰りで鹿島槍に登頂したというFBの投稿を見て、自分もいつかそこまでの体力がついたらぜひ鹿島槍の日帰りに挑戦してみたいと思っていたのであった。
そして、走行距離が増え、体力にも自信がついてきた今、それを実行に移すべし! という決断を下す勇気を得たのであった。
 
朝の5時30分。扇沢の駐車場に車を停めて爺ヶ岳登山口から登頂開始。朝の空気が冷たくて気持ちがいい。登り始めて約2時間で、種池山荘に到着。ここで北アルプスの稜線に出る。ここまでの柏原新道と呼ばれる登山道は、先代の種池山荘ご主人の柏原さんが拓いたとのこと。先達に感謝である。
快晴に恵まれ、まだ朝日とも言える太陽に向かって尾根を進むと1時間足らずで爺ヶ岳最高峰である南峰に到着。そこから登山客で大混雑の中峰を過ぎ、北峰へ向かう。北峰は山頂標がなく、判別つかないが、気にせず北に進む。
爺ヶ岳から北、稜線の先に、雄大鹿島槍の姿が見える。はるか遠くにあるように見え、手を伸ばせばすぐそこにあるかのようにも見える。不思議な距離感である。
そして、爺ヶ岳鹿島槍の中間点あたりの尾根の上に、赤い屋根の建物がクッキリと見えている。よくあんなところに建物を建てたもんだと感心してしまう。それが昭和4(1929)年開業の冷池山荘(つめたいけさんそう)である。
爺ヶ岳から1時間ほど、冷池山荘への到着は9時40分であった。ここのベンチに腰をかけ、持ってきたおむすびを頬張って、休む間もなく再びスタート。またまだ鹿島槍が近くに見えてこないので、日帰りできるか不安が残っていたのである。
途中のピーク、布引山を越えたらあとは森林限界の美しい尾根のやや急登をひたすら登って鹿島槍の南峰に到着である。南峰は、北峰よりも標高が高いので、ここで日本百名山制覇となる。
やった。
時間は11時10分。写真撮影などして少しゆっくりしてもまだ12時前であり、依然として快晴であったことから、行く人が少ない北峰を目指すことにした。南峰から北峰への吊り尾根はなかなかにスリリングで、ここまで来て事故に遭うわけにはいかないので慎重に渡っていく。南峰にいた十数人のうち、北峰に向かったのは私のほかに、いかにもトレイルランニングをしていますといった猛者が1人だけだった。
そして北峰に到着したのがジャスト12時。ここから折り返せば何とか夕方までには下山できそうだと少しホッとする。12時から向こうとこっち。午前の部と午後の部。本当にザックリとした絵的にもわかりやすい時間管理である(笑)。実はそんなわかりやすい感覚でしか掴めないほど、脳内エネルギーは枯渇していたのかもしれない。
 
景色は抜群であった。
北側は、切り立った稜線の先に五龍岳、さらに先に唐松岳、そして白馬三山。これは北峰ならではの絶景である。
東に広がる松本盆地とそのさらに先に見える山々。いつもランニングで通過する長野市川中島の国道19号南長野バイパスと国道18号篠ノ井バイパスが交わる大塚南交差点から西のど真ん中に見えるのが鹿島槍。果たして鹿島槍からは長野市川中島方面が見えるのだろうかと気になっていたが、快晴の青空に助けられて、しっかりと見えたのには驚いた。その交差点の一角にある、きのこのホクトの工場まで見えた(笑)。
 
その後は来たルートをひたすら戻る。稜線には登山客多数。年配のご夫婦が目立つ。皆さん山小屋に宿泊してゆっくりとこの山々を存分に堪能していらっしゃる。もそのような老後を過ごしたいものだとのんびり考えながら、歩みは常に速足であった(笑)。
こんなことができるのも、マラソンの練習で毎日走り続けているからである。がんばったご褒美かな、と、西に傾き始めた太陽と、富山県側に常に見えていた立山剱岳雄大な姿を目に焼き付ける。あの、高校同級生M院長は天候に恵まれずに鹿島槍北峰には到達していない。安全はやはり最優先であるので、天候などいろいろな幸運にも恵まれる必要がある。
そして、爺ヶ岳を過ぎて、種池山荘を目指して下っていた私に、さらなる幸運が訪れた。
 
ライチョウが、すぐ目の前をチョコチョコと歩いていたのである。
 
何とも言えない感謝の念とともに、私は無事に下山を終えた。特に痛みやケガもなく、ただ持参した水や食料は全て底をついていた。
時刻は17時30分。登り始めてから実に12時間が経過していた。コースタイム16時間50分のところ、12時間での踏破。もちろん、こんな「山行」は人生初であった。

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幸運に幸運が重なった人生最長の「山行」