なぜ私は毎日走っているのか。フルマラソン・サブ4(サブフォー)への道

50歳を過ぎた普通のサラリーマンが、ある出来事をきっかけに毎日走り続けるそのモチベーションの数々。

登山でトレーニング〜五竜岳

「それはそれは厳しい登山でした。ちょっと自分を褒めさせてください。」
五竜岳2,814m。2019(令和元)年8月25日(日)、12座目となる日本100名山の登頂に成功した私は、その日の投稿で思わず安堵のため息をついたのだった。

北アルプス鹿島槍ヶ岳とともに後立山(うしろたてやま)連峰の重鎮的存在である五竜岳。1908(明治41)年7月に登山家として初めてこの山に登った三枝威之介一行が地元の案内人からその名を「ゴリョウ」と聞き「五竜」と発表したと言われている。ゴリョウとは、雪解けの時期に雪形が作る「武田菱」(武田家の家紋)の別名「御菱(ごりょう)」とも、立山の音読み(ごりゅう)とも言われており、定かではない。
この日私は、東側正面五竜スキー場からの登山道である遠見(とおみ)尾根は使わず、唐松岳登山で一度行ったことのある唐松山荘からのルートを使って往復することを選択した。理由は、初めての道は怖いから(笑)。
登り初めは八方尾根。晴れていたのでTシャツ1枚。そして八方池付近でやや冷えてきて長袖を着用。ここから先は雲に覆われた白い世界を進んでいく。そして唐松山荘付近でさらに気温が下がって4℃となりウインドブレーカーを着用。未知の道の怖さは唐松の尾根までは回避できたが、ここから先は未知の道と未知の寒さのダブルパンチで最後にはかじかむ手をこすりながら進むという夏とは思えないまさかの寒さと戦う山行となった。
ここから先、つまり唐松山荘を唐松岳とは反対の左側に曲がった先は、上級者の世界。怖い怖い怖い。戸隠連峰の終点である一不動からそのはるか先に聳える高妻山を目指す上級者を、敬意と羨望の眼差しで見送る若い頃の自分が脳裏に蘇る(笑)。そしてそんな自分がその先に一歩を踏み出す、といった恐怖(伝わらなかったらごめんなさい(笑))。
しかしその恐怖は、わずか数メートル先で聞いた雷鳥の鳴き声で少し和らぐのであった。私は駆け戻り、そこに居た唐松山荘のスタッフのお兄さんに問い質す。

「この先で、カエルの鳴き声が聞こえたんですけど、こんなところにもカエルっているんですか?」(笑)

お兄さんによると、カエルのようにゲコゲコと鳴くのはオスで、メスはもうちょっと鳥っぽい鳴き声で鳴くんだそう。なるほど。初めて聞いた特別天然記念物の声であった。

道は狭い。というか、切り立った岩の壁をひたすら横移動していくと言った方が正しい。曇っているので下界が見えず、恐怖が増幅する。鎖は常にある(苦笑)。
しばらくするとラッキーなことに「風と共に尾根の雲が去りぬ」。ザザーっと音を立てて雲が一気に晴れていく様子はスピード感が半端なく、撮影した動画がまるでミュージックビデオでよく使われる早送りの映像のようであった。その隔世感に酔い、しばし恐怖を忘れる。
岩の壁を抜けて気持ち良い尾根道を進み、白岳(しらたけ)2,541mを通過すると、眼下に山荘が見えてきた。五竜山荘である。ここまで、唐松山荘から約1時間半。そして目指す五竜岳は、この先さらに1時間。急登を考慮すればこの山荘はほぼ中間点となる。
山荘の玄関に大きく掲げられた四つ菱のマークに目が留まる。「なるほど、モンベルがスポンサーになっているのかここは。モンベルを使っている人は、五竜岳ファンが多いのかな。」などと見当違いなことをこの時考えていた私は、武田菱のことも、モンベルのことも、そしてその両者の違いなども、全く知らなかったのである(笑)。
1975年、辰野勇氏が創業した日本最大級のアウトドアブランド「モンベル(mont・bell)」のロゴは、縦。「武田菱」は、横、である。まるで、ハッシュタグ(#)は水平、シャープ(♯)は右肩上がり、みたいだ(笑)。
そしてこの山荘の先にあった立て看板を見た時、私の恐怖は最高潮に達する。

  上部は険しい岩場です
  往復2〜3時間かかります
  雨具等身を守る装備を
  持っていきましょうね
  五竜より先はさらに険しく
  逃げ道はありません

そう。既に逃げ道はないのである。
山頂から時折雲が切れて見えるその先の鹿島槍ヶ岳に連なる八峰(はちみね)の稜線と呼ばれる尾根道は、鋸歯状の突起が連なっており、ここは生涯通らなくてもいいかなと思ってしまうほどの恐ろしさであった。
山頂標は、数日前の雷撃で真っ二つ。寒さもあり、記念撮影もそこそこに、クルリと踵を返して八方尾根に向かったのであった。くわばら、くわばら。

しかしながら、無事に下山してみて思うのは、天候が良ければもしかしたらもしかして、五竜岳は、戸隠山に近いスリリングな岩場と、妙高山に近いバラエティに富んだルートを兼ね備えた最高にアドベンチャブルな素晴らしい山なのではないかということ。ま、しばらくはお腹いっぱいで足は向かないと思うのだが。

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この時はTOKYO2020に何の疑いも持っていなかった。