なぜ私は毎日走っているのか。フルマラソン・サブ4(サブフォー)への道

50歳を過ぎた普通のサラリーマンが、ある出来事をきっかけに毎日走り続けるそのモチベーションの数々。

登山でトレーニング〜白馬岳

北アルプスで最もポピュラーな山といえば、すぐに白馬、槍、燕などが頭に浮かぶに相違ない。私の母校の長野中学(今の長野高校)の校歌にも、「山また山の遥かたに そびゆる白馬の雪の峯」という一節がある。昔の長野中学のあった場所(今の信州大学教育学部)からは、全然見えないのだけれど、白馬という、そのすがすがしいイメージにこの作詞者は若々しい少年達の夢を託したのだろう。」

「高校時代の校歌の1番に歌われていた白馬岳2,932m。13座目となった日本百名山は、ピーカン予報のこんな日に山に登らない手はないよねという山男・山ガールで涼しい大雪渓も大賑わいであった。」

前者は、私が尊敬する先代のカシヨ株式会社会長清水栄一氏著『信州百名山』の「白馬岳」部分の冒頭。後者は、恥ずかしながら「白馬岳」登頂後にアップした私のSNS投稿の冒頭である(笑)。並び立てるのもおこがましいが、事実として年齢差47歳の2人がまるで打ち合わせたかのように、母校の校歌「山また山」に歌われた白馬岳を頭に持ってくる。白馬岳(しろうまだけ)は、そんな我々の胸の奥に常に去来する大きな存在なのである。
後立山連峰の北部に位置し、白馬鑓ヶ岳、杓子岳とともに白馬三山と呼ばれる白馬岳。その姿は北アルプスを代表する美しさをもつと言われている。

白馬岳の名は、春の雪解けで岩が露出し「代掻き馬」の雪形が現れることから「代掻き馬」が「代馬」となり「しろうま」となったとのこと。「白馬」は当て字であるから「はくば」と読むのは本来は誤りだが、白馬村白馬駅に始まり、白馬山荘をはじめとする「白馬」がつく山小屋名もすべて「はくば」と読むのが正式である。現在では山や雪渓の名称と高山植物の名称以外のほとんどが「はくば」であり、全ての「白馬」のつくスキー場も「はくば」。地元村民も山の名も含めて「はくば」読みをする人が多いが、なぜか登山者は「しろうま」派が主流。私もそれに倣って「しろうま」と呼ぶことにしている(笑)。

令和元(2019)年9月7日(土)。快晴との天気予報に背中を押され、朝5時に長野市内の実家を車で出発し、登山口である猿倉荘に6時30分に到着。唐松岳五竜岳に登った時に入った八方尾根の入り口を通り抜け、そのまままっすぐ白馬岳に向かう一本道だったので、迷うことはなかった。朝早くから登山客で賑わっており、漂う「メジャーな山」感に少し安心する。
雲一つない青空。遠くに白馬三山の頂が見える。頂を見ても圧倒されたり気持ちが萎えたりしないのは珍しかった。樹々の緑と空の色がワクワクする気持ちを昂らせ、未踏の地の不安を消してくれていたのであろう。グループで登る登山客の楽しそうな声も実に清々しかった。
ハイキングをするような感じの優しい登山道を1時間ほど登ると、標高1,560mの白馬尻小屋に着いた。さぁ、いよいよ本番である。大雪渓についての様々な注意書きの看板を見て、白馬岳登山の実感が湧いてくる。それまでは八方尾根から遠く北に連なる白馬三山を眺めるばかりであったが、いよいよその入口に取り付いたのである。唐松岳からの下山で「白馬岳から来ました〜」という男性2人組と会話をした時に「いつかは(白馬岳に)行かなきゃいけないな」と思ったことも、脳裏に去来する。

この日本最大の雪渓である白馬大雪渓は、全長3.5km、標高差が600m。真夏でも人気があり、雪渓を登る行列の写真を何度か目にしたことがある。しかしここまでは、なんてこともない木々に覆われた普通の山道。本当にそんな巨大な雪の塊が、この夏を終えた季節になってもなお存在しているのか、渓谷の先が見通せない状況では、まだ少し半信半疑なところがあった。ただそれは逆にワクワク感を増幅させる効果もあり、いてもたっても居られずに先を急ぐ足取りに力が漲るのだった。

雪だ。どんどん雪の塊が見えてくる。土が混じってマダラになってはいるが、明らかに巨大な雪の塊がそこにはあった。風が冷たくなる。空の青さとのマッチングも本当に気持ちがいい。
登山客多数。見通しがいいのでかなり先まで見通しがきく。男性も女性も、グループも、皆アイゼンを装着するために思い思いの場所で座っている。装着した後は、何となく一列になって進む。蟻の動きに近いんだろうなー、と考える。
私はいつもの4本歯、プチアイゼンを装着して蟻の行列に加わる。大きな口を開けた雪の割れ目に気をつけ、一歩一歩踏みしめていく。季節外れの雪。夏の終わりにこの雪行は本当に嬉しい。
思ったより女性が多い。カラフルなウェアは見ていて気持ちが華やぎ、知らず知らず自分好みの出で立ちの女性を目で追うようになる。この時は小柄な割に足取りがしっかりとした黄色い短パンの女子に目が行っていたような気がする。

大雪渓は、通過まで約40分間。アイゼンを外して振り返るとその景色もまた圧巻。東京から来たという女子2人組にシャッターをお願いして雪渓をバックに写真を撮ってもらう。よく見ると、雪渓の向こうに北信五岳の飯縄山戸隠山、そして美しい高妻山が美しくない方向から見えていた。これまで飯縄山頂から白馬連峰はよく見てきたが、今はその逆である。何とも不思議な感覚である。
9月なので花は咲いていないものの、いかにもお花畑ですといった緑の絨毯と岩場が織り交じった登山道が続く。ここで休憩をしていた小柄で白髪、私より少し歳上かなという神奈川県から日帰りで来ているというzuppyさんとしばし会話を楽しむ。

「こんないい天気の日に山に登らない手はないですよね〜。」

zuppyさんは、昨夜車で出発し、朝仮眠をとってからの登山だという。タフガイである。そしてしかも今日はこれから白馬岳を越えて栂池の方に下りていく予定とのこと。大丈夫か。白馬は今日が初めてなので今一つ距離感がわからない私はただただ驚愕するのみであった。そもそも自分が無事に白馬ピストンを終えなければならない身である。どうやって車を停めてどこまで何で移動したらそんなルートでの山行が可能になるのかを聞くと長くなりそうだったのでやめる(笑)。

そして登り始めてから約3時間。ついに山頂間近の山小屋、日本最大の収容人員を誇る白馬山荘にたどり着いた。休憩もそこそこに、力をふりしぼってすぐそこに見えている山頂までの道を急ぐ。距離にして1kmくらいだろうか。山頂が見えているだけに、体の重さが倍に感じる。振り返ると、雪渓で見た黄色い短パンの女の子がこちらに進んでくるのが小さく見えた。いつの間にか私が先行していたようだ。しかし彼女の足取りは軽い。

「休むわけにはいかない」(笑)

ここで休むと、確実に彼女に抜かれてしまう。ギリギリとはいえ、フルマラソンサブフォーを達成した私が、ここでそんな小柄な女の子の後塵を拝するわけにはいかないではないか(笑)。
3,000m近い高地である。息が苦しい。ひと月ほど前の富士山を思い出しながら歯を食いしばる。

着いた。山頂だ。360度の壮大なパノラマ。晴天がもたらす最高のプレゼントだ。これだから山登りはやめられない。
ぐるっと1周をする動画撮影をすると、そこに黄色い短パンの女の子が映り込んでいた。もう着いていたのか。やはり彼女は速かった。私は彼女に敬意を抱き、躊躇いなくシャッターを依頼したのであった。彼女は自らをO社長と紹介した。会社を経営しているのかと思ったら、昔からのニックネームだという。偶然にも、彼女は長野市内から来ていた。

山頂からは、白馬鑓ヶ岳、鹿島槍ヶ岳槍ヶ岳の三本槍と湖水をたたえた黒部ダム立山剱岳がワンフレームに収まる形で見ることができ、遠くは八ヶ岳と富士山が背比べ。そして北西側に目をやると何と眼下に富山平野とそこを流れる黒部川、その先の富山湾、またその先の能登半島という晴天ならではの稀有な眺望を堪能することができた。さすがに素晴らしい日本百名山白馬岳2,932mである。
やがてzuppyさんも山頂にやってきたので言葉を交わす。申し出てシャッターを切らせていただいた。その後のヤマレコを見る限り、彼は無事に栂池ルートを踏破できたようである。

下りの雪渓も終わりに差し掛かったころ、やや遠くから、カメラを構えた男性に声を掛けられた。
「速いですね〜。あっという間にここまで降りて来ちゃいましたね。」
彼は雪渓周りの風景を撮影しているらしく、我々2人をずっと見ていたようだった。
「今日は(条件が)最高ですねーっ!」
O社長と私は少し声を張りながらカメラ男性と言葉を交わす。看護師である彼女は、砂利に足を取られて転倒してしまった年配登山客に駆け寄り手を差し伸べるなど、その気遣いがいかにも専門職といった気品を纏いつつ、終始あっけらかんとしていた。看護師には登山やマラソンをする人が多い。
「うーん、私はマラソンより山かな。」
と言う彼女は、今テント泊にハマっているとのことで、そのプロセスを聞かせてくれた。

本当に楽しかった白馬岳。いろいろな意味でいい山であった。これだから山登りはやめられない。

駐車場で別れる時にO社長に勧められた5kmほど下の「おびなたの湯」にゆったりと浸かりながら、今度は白馬鑓ヶ岳中腹の標高2,100メートル地点にあるという彼女一推しの白馬鑓温泉小屋に行ってみようか、そしていつかは栂池方面にも行ってみたい。と、白馬に魅せられた私の思いは夕焼けの準備で色が変わり始めた青空を眺めながらとめどなく膨らんでいくのであった。

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写真中、正しくは「白馬鑓ヶ岳」です。