なぜ私は毎日走っているのか。フルマラソン・サブ4(サブフォー)への道

50歳を過ぎた普通のサラリーマンが、ある出来事をきっかけに毎日走り続けるそのモチベーションの数々。

登山でトレーニング〜富士山【後編】

日本百名山の中で一番高い山、富士山。標高3,776m。幼い頃から夢に思い描いていた富士山。幼稚園児だったころ、3時のおやつで出た富士山羊羹の美味しさに魅せられて知った富士山。世界遺産富士山。マウントフジ。

令和元(2019)年7月28日(日)、そんな世界に誇る富士山の登頂に成功した。それは53歳と363日目の出来事であった。

10:16 (9:25に) 八合目に入ってからなかなか九合目に着かず、身体が全く動かない状態で不安と疲れに包まれたまま、点々とある山小屋の店の前に置かれたベンチに腰を下ろして休憩することにした。持参した「塩+アミノ酸オレンジジュース」のパックを一気に飲むと、呼吸が少し楽になるとともに身体も動くようになる。
10:24 腰を上げ、歩き始めると、山小屋のメンテナンスをする男性2人組の姿を見てしまう。しまった。ランニング中もそうなのだが、
「働いている人に遭遇すると後ろめたくなる病」
の私は、途端に後ろめたくなる(笑)。山小屋の山側の屋根に積もった土を丹念に除去していた彼ら。それにしても、この空気の薄い高地でよくもそんな力仕事ができたものだと本当に感心してしまう。
10:34 「御来光館」という山小屋があり、それっぽい雰囲気の場所に着く。何人かの登山客が山小屋前のベンチに座って休憩しているので、ようやく九合目かと思ってよく見たら「八合五勺(ごしゃく)」との看板。
「米かよ!!!(笑)」
と心の中で大ツッコミをしてさらに歩く。休んでなんかやるもんか(笑)。それにしても九合目が遠い。
10:40 山肌が赤い。そしてまとまった残雪が見える。10歳の頃から活動をしている神楽保存会の太鼓のお囃子に出てくる「富士の白雪」。これが実物である。しばし疲れを忘れて感慨に浸る。
10:45 苦しい苦しいと必死に登っていると、実に自然な流れで、近くにいた背の高いXevi Chaseさんとスラリと美しい妹、そしてその新婚のハズバンドというスペインはバルセロナからの3名様ご一行と言葉を交わすようになった。共に励まし合いながら登る。これはかなり力をもらうことができた。ここに来てナイスフレンズの登場である(名前は最後まできちんと読めなかったが(苦笑))。
Xeviさんは、確実に足取りが私よりも速い。いつの間にか先に行っており、そして私を待ってくれる。と思ったら、実は妹夫婦を待っていたのであった。スラっとした美人の彼女のペースがちょうど私と同じくらい。そのご主人はやや遅いかなという感じ。マラソンのペースと同じで、登山にも人それぞれペースがあるということが、リトマス試験紙で炙り出されるかのように容赦なくわかってしまう、そんな3,000m超級の世界であった。
それにしてもXeviさんは慣れている。登山者の中でただ1人半袖Tシャツ1枚という軽装で、軽やかに九十九折(つづらおり)の登山道を右に左に折り返していく。スペイン語はadiósしか知らないので英語で聞くと(笑)、彼は既に本日4回目の富士登山とのこと。慣れているはずである。なぜそんなに数を重ねられるかというと、

「とにかく富士山が好きだから。」

と言う。なるほど、日本人でなくてもこれだけ人の心を動かす魅力を持つ富士山に、改めて畏敬の念を抱く。年下で、かつ、外国人である彼にも私は素直に敬虔(けいけん)な気持ちを抱く。その気持ちを込めて私は彼を「マスター」と呼んだ(名前が読めないので(笑))。
彼らは昨夜、山麓に宿泊し、今朝登山開始。よく聞くと、彼は日本在住であって埼玉か千葉か多摩か忘れたがその辺りの地方都市でスペイン語の教師をしており、来日した妹夫婦を日本観光に案内しているんだとのこと。日本に来て富士山。最高だ。最高峰の日本観光。というか今思うと彼らはもしかしたらハネムーンだったのかな。記念写真を撮影したままその後の交流がないのでわからないということもあって、気の利いた祝福の言葉をかけてあげられたかどうかは、もう記憶がなく残念だが、とにかく最高峰の日本観光をした2人である。幸せに暮らしていないなどということがあろうはずがない。
思い出した蕨(わらび)だ。埼玉だ。
11:07 山肌いよいよ赤く、登山道も真っ赤っか。隕石のようなガラガラとした岩が積み上がった状態のところにロープが張ってあり、枕木や岩でで所々階段が作られている。勾配もかなりキツい。苦しいです。苦しいです。
11:19 「(山頂まで)あと少し!」と、マスターXeviが私に声をかけてくれる。「あと少し!」は、ここ富士山で覚えた日本語だという。なんだか嬉しくて泣きそうになる。白い鳥居と白い石の狛犬が山頂手前の目印。力を振り絞り、急で大きな石段を踏みしめていく。

11:20 着いた。
「宮奥上頂山士富」という看板を掲げたいかにも昭和といった建物があり、隣接して土産物店とその店の前のたくさんの木のベンチ。思わず笑みがこぼれる。嬉しいです。
11:37 売店脇を少し歩いて火口が見えるところに移動。パックリと口を開けた火口は残雪が所々にあり迫力満点である。火口の周囲をグルっと1周すると約1時間。行こうかどうしようかこのまま下山しようか一瞬悩んだが、せっかくここまで来たのだからと1周することに決めて時計回りに歩き始める。礫岩と言うのだろうか、赤く細かな軽石が敷き詰められたような道を進む。何とも宇宙的であった。
12:00 静岡県側からの山頂に到着。そこには「頂上浅間大社奥宮」と「富士山頂郵便局」があった。富士山頂郵便局限定かもめ〜る3枚セットを購入し、東京の自宅、妻の実家の両親、自分の実家の母にハガキを書く。軽く頭痛がするのとここまでの疲れとで、1枚書き上げるのにかなりの時間がかかってしまった。受験なら不合格のパターンである(笑)。
12:18 火口周辺はなだらかなのでハイキング気分。ポツリポツリと歩きながら妻に電話をする。通じた。ここにきて初めて自分が今富士山頂に来ており天気も良く最高の気分であることを彼女に伝えたのだったが、こちらのハイテンションは全く伝わらない(笑)。叱られなくて拍子抜けであった。むしろ逆に心配もされていないのかと心配になった(笑)。
12:24 目の前に小高い丘。そしてその上に建つ気象観測所へと進む。100mほどの上り勾配は、昨年妻と行った小田原城天守閣に向かう登りの石段という雰囲気だったが、身体が全く動かなくなりとにかく一歩また一歩と踏みしめるようにしか進めない。
12:31 やっとの思いで気象観測所に到着。そしてここが日本最高地点の「剣ヶ峰」であることを知る。3,776mに着いた感動はあまりなく、持参したカルビーポテトチップスもさほどパンパンになっておらず、岩の上に腰掛けて、持参したおむすびを淡々と食す。
12:48 下山前に、忘れてはならない山頂標での記念撮影。中国からのカップルにシャッターをお願いしたところ、「はい、チーズ」のタイミングの「チ」のところでカシャっと撮影されてしまい表情作る暇(いとま)を与えられずビックリ(笑)。中国時間なのか。続いて今度は国旗と思しき旗を掲げた4人の若者グループから私がシャッターを依頼される。「はい、チーズ」の日本時間で撮影。どこから来たのかと聞くと「インドネシア」との回答。そうか、赤と白で上下に分割されたデザインの国旗はインドネシアのそれか。世界で最も多いイスラム教徒を抱える国、ハラール認定が行われる国。覚えておこう。よくぞ観光地にこの富士山を選んでくれた。というかウエルカムトゥージャパン! 私は彼らとガッチリ熱い握手を交わすのだった。
13:16 グルっと1周回って元の位置に帰還。さぁ、下山開始である。ここまで約6時間を消費しているので想定タイムテーブルからは押し押しの状態。転がるように「須走(すばしり)」で駆け下りる。登山道にもその名が刻まれているように、須走とは、富士山特有の下山テクニックのことなのである。事前の情報でそのことを知っていた私は、こんな感じかな? こうかな? どうかな? と、手探りで須走ってみる。慣れてくると、これがまた実に楽で速くてそしてサーフィンで波に乗っているかのような気持ち良さであった。
「ザーっ! ザーっ! ザーっ!」
14:27 六合目まで下りてきた。登りでは気づかなかったが、トイレがズラーっと大小かつ男性用女性用10個ほど並んでいた。が、ここまで来たら止まるのも惜しいし100円を支払うのもバカバカしいのでそのまま五合目までダッシュ。さらなる加速を行った。
14:47 五合目に帰着。下りは何と1時間半。登りであそこまで苦しめられた日本の最高峰を、長野市民の憩いの山である飯縄山(いいづなやま)1,917mと同レベルに引き摺り下ろす快挙であった(笑)。そして土産店の散策や休憩もそこそこに、向かったのはトイレ。何と朝来た7:40分以来7時間振りのトイレであった。スッキリ。
17:00 甲府市中心部。国道20号を進む。目がギンギンして全く眠くない。
19:19 国道20号がパタリと終わる塩尻市内の交差点。
21:03 ギンギンで眠くない状態のまま、長野市内の実家に無事到着。お見事、日帰り富士登山が完成。忘れないうちにプリントした撮影写真をスクラップ帳に貼って思い出の一冊にすることを心に決める。タイトルはズバリ、

「富士山は赤かった!」

とした。
制覇した日本百名山はこれで11座となった。

[了]

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別世界の山頂で約2時間の滞在。満足満足。