なぜ私は毎日走っているのか。フルマラソン・サブ4(サブフォー)への道

50歳を過ぎた普通のサラリーマンが、ある出来事をきっかけに毎日走り続けるそのモチベーションの数々。

登山でトレーニング〜富士山【前編】

日本百名山の中で一番高い山、富士山。標高3,776m。幼い頃から夢に思い描いていた富士山。幼稚園児だったころ、3時のおやつで出た富士山羊羹の美味しさに魅せられて知った富士山。世界遺産富士山。マウントフジ。

令和元(2019)年7月28日(日)、私はそんな富士山の登頂に成功した。それは生まれて53年と363日目の出来事であった。
富士山というと、ご来光を拝むパターンが有名であるため、必然的に宿泊を伴う登山というイメージである。その時点でハードルが高くなってしまい、行ってみようかという気持ちが湧かず、50歳を過ぎるまで富士登山は私の人生に全く縁のないものであった。がしかし。
縁というのは実に不思議なものである。平成30(2018)年8月26日(日)、長野県北部の中野市というところにある高社山(1,352m)の山頂で出会ったkekeさんたち4人グループの皆さんとの会話の中で、
「富士山は、全然日帰りで行ける」
ということに気付かされたのであった。富士山の存在がいわゆる他人事から自分事に転化した瞬間である。そしてそこ、高社山は、別名を高井富士という。縁だ。
ラソン大会にも出場するという4人。「その脚力なら全然大丈夫大丈夫」と、私の富士山行きの背中をグッと押してくださったのだった。ありがとうございます。
それからというもの、丸一日ガッチリ予定を空けられる日を探しながら天気と睨めっこをして、来るべき日を待ち構えていたというわけである。そして翌年の夏、ついにその日がやってきた。
午前2時に長野市内の実家を出発し、午後9時に帰着という締めて19時間の日帰り旅。単調かもしれないが、どんなタイムテーブルで日帰り富士登山が為されたかを知っていただくことに重きを置きつつ話を進めさせていただくこととしたい。

5:10 白樺湖経由で国道20号甲府市内から富士山の勇姿を初めて見る。
6:05 河口湖大橋を渡り、コンビニ駐車場でルート確認。
6:30 富士山パーキングに到着。1台1,000円。ここで、マイカーで5合目まで行くことはできないことを知り、やむなく車を停める。シャトルバスに乗るしかない。何という下調べ不足であろうか。いきなり先行きが不安になる。次のシャトルバスは7時発なので、駐車場にて2kmのランニングを敢行。誘導員のおじさんに「がんばるねぇ。」と褒められる(笑)。
7:00 シャトルバスで駐車場を出発。往復2,000円。
7:40 スバルライン5合目に到着。時間がもったいない。トイレ小を済ませてすぐに登山開始。
7:55 車道のような広い登山道を小走りで進む。まだ本格的な登山道という感じではない。山中湖が見えてくる。その先に広がる雲海が美しい。ゴルフ場にしては大きいなと思ったら自衛隊の演習場であった。
8:00 六合目に到着。協力金1,000円を支払って「富士山保全協力者証」をゲット。厚さ5ミリの長方形の小さな木片に文字とイラストが焼きで刻印されている。付属の紐でリュックに装着し、意気揚々。周囲を見回すと登山者はほぼ協力金を支払っている感じだった。
8:05 九十九折(つづらおり)の登山道をスタート。木がなくなり山頂方向の視界が広がる。天気晴朗気分上々。さぁ、いよいよ出発します!!
8:42 単調な九十九折。なまじ見通しがいいだけに、先が気になって上ばかり見ているので首が痛くなってくる。
9:05 ようやく七合目に到着。一合進むのに1時間。この先のことを考えるとやはり富士山は甘くないなと、ここで褌(ふんどし)の紐を締め直す。登山道に沿って宿場町のように山小屋がいくつかあり、これが富士山の山小屋かぁ、と興味津々。時間帯的に宿泊客は出払っており、ひととおり掃除が終わった感じの室内を覗くと床がピカピカだったり壁がオシャレだったりと意外と綺麗に整っていてびっくり。頭の中にある映像は、子どもの頃に見たかなり昔のニュース映像なのかなと認識の上書き保存をする。
9:12 登山道が徐々に岩山のように変化。勾配も急になってきておりキツくなってくる。
9:25 八合目に到着。早かった。「是ヨリ八合目」という看板を目にし、そうか! 何合目というのはある地点ではなく、ある地点からある地点までのことを指すのかと気づく。子丑寅、、と時間を呼ぶのも同じ。ある時点からある時点。それを4分割して丑三時(うしみつどき)。なるほど江戸時代以前の感覚が残っている。京都市内の住所の区割りも道路の真ん中だよなー、なるほどねー、などと考えごとをしながら一定のペースを守って進む。
9:58 海抜3,250mの看板を発見。これまで3,000m超の山に登った経験がないので、この時点で人生最高到達地点記録であることを知る。この先一歩一歩が記録更新の一歩となる。
「いまの場合、一里行けば一里の忠を尽くし、二里行けば二里の義をあらわす。尊王の臣子たるもの一日として安閑としている場合ではない。」
と挙兵し自らの軍を鼓舞した長州の救世主高杉晋作の気分で登山道を踏みしめる(笑)。というか、日本第2位の北岳の標高3,193mをも既に上回っている。ちょっとこれはかなりドキドキする。
10:05 苦しい。富士山に登る以外体験できない領域に足を踏み入れているということを知ってしまったからか、とにかく苦しい。振り返って下を見ると、綺麗に広がる雲海。確かにこんな景色は飛行機に乗った時しか見たことがないかもしれない、と思う。いや、雲海だけなら北アルプスや北信五岳で十分体験しているはずなのではあるが、この時はそんな冷静さすら欠いていたような気がする。見るもの見るもの「うわーっ! うわーっ!」という感じであった。
10:15 八合目の上の方に来てはいると思われるが、なかなか九合目に着かない。登山道が時折、幅の広い石の階段になるが、身体が重くて全く動かない。一段一段をヨイショ、ヨイショ、と進んでいく。霧が出てきて視界も少し悪くなり、前方にポツリポツリと見える登山者も私同様、ゆっくりゆっくりとした動き。それを見て、

「あー、(こんなに身体が動かないのは)俺だけじゃないんだ。」

と安心する。
しかし、こんな状態で果たして山頂まで辿り着けるのだろうか。目の前の景色はまるで死霊(ゾンビ)がさまよう映画のスクリーンのようであった。
[後編に続く]

f:id:matsuu51:20200524224546j:plain

     とにかく未体験が満載の富士山