なぜ私は毎日走っているのか。フルマラソン・サブ4(サブフォー)への道

50歳を過ぎた普通のサラリーマンが、ある出来事をきっかけに毎日走り続けるそのモチベーションの数々。

東京から長野へ。

それまで約20年続いていた東京での転勤生活は、いきなり終わりを告げた。

2014年9月1日。妻と長男、二男を東京に置き去りにしたまま、私は長野本社に着任した。実家に戻って両親との生活。最近流行りの「逆単身赴任」である。私は、念願の「妻に怒られない生活」を手に入れたのである。
用事があって東京に戻る週末以外は、基本的に自由だ。
夜も自由だ。寝ようが、起きていようが、深酒をしようが、遊んでいようが、原則、自由だ。
さて、何をしようか。
初めのうちは、堰を切ったように夜の街に繰り出した。長野は教育県。男性としての楽しみを満たす施設には圧倒的に劣るが、それでも善光寺の門前。権堂という知る人ぞ知る夜の繁華街がある。本当によく飲み歩いた。終電を逃してもへっちゃらだった。敢えて逃していたフシもあるくらいだ。
実家まではたかだか5km。池袋ー清瀬間の20kmに比べたら屁のカッパである。タクシー代をケチって歩くこともしばしばだった。
その頃知り合いになって、今でもお付き合いをさせていただいている方々数多し。改めて「人は動けば動いただけ得るものがある」と感じ入る。
そんな中、ひょんなことから、10月に長野マラソンのエントリー受付があるということを知る。開催は4月だ。
「せっかく長野にいるんだから、これはやるっきゃないな。」
即断である。
長野マラソンといえば、信濃毎日新聞社主催の信毎マラソンをルーツに、歴史と伝統ある大会で、小学生の頃に沿道で応援したこともある遠い遠い存在。しかも、ろくな運動もしていない中年男子にとっても、遠い遠い距離の42.195kmである。
「本番の4月まで、6か月もあるんだから、なんとかなるだろう。一度でいいから、何かに死ぬ気で取り組んでみるのもいいじゃないか。」
飲み歩き過ぎて頭の中がファンキーになっていた私は、露ほどの引っ掛かりもなく、早い者勝ちでわずか開始十数分で締め切られてしまうという超難関エントリーを、あれよあれよと無事に成功させてしまうのである。
長野マラソンの制限時間は5時間。後で知ったのだが、この5時間というのは他の市民ランナー向けマラソン大会においてはトップクラスの短かさで、長野マラソンの場合、「完走した」ということだけでそれなりのステータスが得られるのである。
一発ポッキリの、本当に軽い気持ちでのエントリー。や、当時は決して軽い気持ちなどではなく、それなりの覚悟を持っていたはずなんだろうけど、今思うと、本当に軽い(笑)。