なぜ私は毎日走っているのか。フルマラソン・サブ4(サブフォー)への道

50歳を過ぎた普通のサラリーマンが、ある出来事をきっかけに毎日走り続けるそのモチベーションの数々。

「大親友」の存在。

私には、大親友がいる。

正確に言うと「大親友と呼べる男がいる」。
もっと言うと「お互いのことを大親友と呼び合う友がいる」が正解(笑)。
その大親友のY口くん(以下「大親友」と言う。)、私にランニングについての様々な情報を、様々な実践経験を基にもたらしてくれるとともに、一緒にトレーニングランをしてくれる唯一のラン友という、ものすごく貴重な存在なのである。
東京で働く彼は、長野市内の実家に帰省するタイミングに合わせて私と一緒に走ってくれる。大学時代体育会のサッカー部に所属しており、元来のスポーツマン。
「大会に出ないとサボっちゃうから。」
と言ってウルトラマラソンを含めた様々なマラソン大会に精力的に参加しており、シューズなどのグッズ選びを含めてアドバイスも的確である。
実家で一人暮らしの母親の面倒を見るということや、奥様が長野出身ということ、男2人の子持ちであるとか、父を見送って間もないなど、共通点も多い。
というわけで、ここで紙幅を割いて(紙ではありませんが)簡単に大親友のことを紹介してみようと思う。
大親友は高校時代、泣く子も黙る応援団員であり、しかも団長を経験した強者である。
高校現役時代、甲子園球場で行われる春の選抜大会に母校の長野高校が出場したため、世の中に数少ない「アルプススタンドを経験した応援団員」なのである。
長野高校をよく知る人であれば想像に難くないと思うが、長野高校の応援団長といえば、過酷な自己鍛錬が求められる校内でもトップクラスのポジションである。強者揃いの団員たちをまとめ、日々応援の練習を怠ることなく、しかも、実際の母校の野球の試合の応援では、高下駄を履き、ボロボロの袴姿で学生帽を深く被り、腕組みをして髭をたっぷり蓄えた顔で相手校の応援席をだだひたすら睨み続けるだけがほぼ全ての仕事(笑)。
試合後のエール交換の場面でおもむろに体を動かし始め、たった1回のエールを、これでもかと時間をかけて行う、それだけの(笑)、実に過酷な役割を、歴史と伝統の名の下に毎試合ひたすら繰り返す、そんな存在が長野高校の応援団長である。
そして我が母校の応援団は、甲子園での高校野球の応援という晴れやかな舞台を前に、ある重大な決断をした。
何と、お隣の高校、こちらも歴史と伝統ある女学校である長野西高校チアリーダーたちが、甲子園で、長野高校を一緒に応援してくれるという、そんな有り難〜い申し出を断ったのである。
男気盛んな我々の非難は、同期の団員であった大親友に集中した。
「なんてことをしてくれたんだ!」(笑)
後々になって冷静に事情を聞くと、さすがに歴史と伝統あるバンカラが売りの我が校の応援にチアリーディングはそぐわないだろうということと、決断したのはどうやら1学年上の先輩たちだったということで、我々同期の男子たちは、卒業後の飲み会で顔を合わせるたびに、あの時は悪かったと大親友に謝るのである(笑)。
そんな大親友と私は(ちなみにY口くんも私のことを大親友と呼ぶ(笑))、高校時代を同じ学び舎で過ごした間柄であるものの、学年が同じであったということ以外、実は何の接点もない(笑)。
そんな二人がなぜ大親友なのか、いや、お互いを大親友と呼び合うのか(笑)、毎年の年賀状のやり取りで「今年も大親友でよろしく!」と言い合うのか(笑)、それは、我々が大学生の頃に起こったある出来事に端を発するのである。
硬式庭球班(長野高校では、課外活動の部を班と呼称する)でチームメイトだった蛸野井(仮名)氏を、蛸野井氏が通う大学がある松本市に訪ねた時のこと。50ccの原チャリで長野市にある実家から2時間ほどかけて松本までやってきてテンションが上がっていた私、もう少し遠くに行ってみたくなり、面倒くさそうに嫌がる蛸野井氏をそのままに、蛸野井氏と同じ大学に通っていてその場に居合わせた大親友を捕まえて、
「どっか行こうぜ。」
となった。
「そうだなぁ、伊那に婆ちゃんがいるから、とりあえずそこまで行ってみようか。」
優しい大親友。彼は、愛車のシルビアで、50ccのホンダシャリイで疾走する私に付き合ってくれたのである。
伊那とは。
諏訪湖から南に流れ出る天竜川に沿って、松本から30kmほどのところにある伊那市のことで、信州大学の伊那キャンパス(隣の南箕輪村)に、農学部あるのどかなところである。
そこに来た2人。
季節は忘れたが、夕方、日がトップリと暮れ、辺りが真っ暗な中、私は、大親友の祖母が一人で暮らす家にお邪魔したのであった。
大親友の祖母は、そこで予想だにしない行動に出た。
「よく来なしたね、これ飲みなして。(よく来たね〜、これ飲んでってよ。)」
台所にあった日本酒の一升瓶を2人の間にドンと置いたのである。このもてなしを断るわけにはいかない。私は大親友とともにそれを存分に味わい、初めて訪れて初めて会った高校で同学年という以外何の接点もなかった男の祖母の家に泊まったのである。
そしてその翌日、蛸野井氏からのコメントが、2人を繋ぐ大きなキッカケとなった。
「お前ら、大親友だな(笑)。」

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トレイルランニングの真似事をして楽しむ大親友と私

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応援団長だった大親友の現役時代